2023-06-29

若い人たちにはピンとこないかもしれないが、

記憶というものは欠損するものだ。

かにあったはずのものが消えてなくなる。

丸いお皿の一部が欠けてパックマンの口のようになっている。

でも、普段はそのことに気づくことはない。

気づくのは覚えていない事実に直面したときだ。

 

例えば20数年前に毎日自転車で通っていた道。

通学路なんかを20年ぶりで訪れたときなんかだ。

さすがに、全部丸ごと覚えていないなんてことはない。

(あと数十年経てばそうなるのかもしれないが)

だいたい覚えてはいるのだ。

しかし、こんなところあったっけ?

という部分が何箇所か出てくる。

そして場合によっては、これどっちに行けばいいのだ?

とわかなくなる記憶の欠損箇所が現れたりする。

ひょっとして区画整理でもされて道が変わってしまったのか?

と疑うが、見覚えのある民家とか公園があるからそういうわけでもない。

まり忘れたのだ。

歳をとってしまったのだ。

 

でも、普段生きていてそういう記憶の欠損に気づくことはない。

いま現在毎日通る道を覚えていないとかそういうわけではないからだ。

から、概ね自分記憶力に疑問を抱くことはないし、

人生大事出来事は覚えている気になっている。

しかし、そんなことはない。

確実に記憶は欠損する。

お皿は日々欠けていくのだ。

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