ベイエリアに「ゲームは不要」という雰囲気があるというのを何人かから聴く。
ゲームに慣れ親しんだ日本からすると、「ゲームは不要」というと、香川かといった反応が普通に見えてくるし、
Steamや海外ゲーム実況は普通に話題だし、日本より北米の方がゲーム市場が有用といった声からも、ベイエリアの「ゲームは不要」という雰囲気はわかりにくい。
ゲームがナード文化である過去があるのはわかるが、
日本のオタク文化が大衆化した状態と同じ道を歩んでいるのか、マッチョ文化が残っているのか・・・。
わかりにくくなっているのは、ゲームが金になる市場になっていることで、
あからさまな「ゲームは不要」という宣言はない。
Permalink | 記事への反応(2) | 08:21
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人生はクソゲーだけど、その人生というクソゲーに手一杯なのです…
件の県議会は不要だとは一言も言っていないが…?