仕事において生じる苦心やつらさなどは、文明的生活を営む現代人における「大人」へのイニシエーション行為であると思う。
だからこそ、今まで平々凡々と楽にしか生きてこなかった人間には仕事のつらさが必要であり、
「仕事が死ぬほどつらいけど、辞められない」って言う状況は疲労による意識混濁とともに、
これまでの人生でイニシエーションを経験することがなかったためにその存在の意味が掴めず、そしてその存在を認識しなかったために生ずる事態ではないだろうか?
あとはそうした精神的イニシエーション行為と、肉体的イニシエーション行為の共通性と違いについてわかれば、より精神的な概念は広がりそうな気がする。
日本人は滅私奉公するように飼い慣らされてるから、仕事で苦痛を感じても喜ぶように調教されている。 外国ならアサーティブなコミュニケーションで業務の改善を提案・要求する。