面白い物は理屈抜きで面白いのであって、面白い物に後付けで解説される理屈というのは言ってみれば「理屈と膏薬はどこへでもつく」ということわざの膏薬とおなじような物なのでは無いかと思う
その証拠に、面白い物の理屈が確かのものであるのなら、面白い作品はその理屈に基づいて量産されていいはずである
なので面白い作品は、例えそれが理屈ではうすっぺらかろうと、宣伝やステマに乗せられた錯覚のようなものであったとしても、多くの人が面白いと感じたその一瞬だけは本人たちに取っては真実なのだろうと
そこをはき違えて、「自分の最強面白作品理論に適った作品は全ての人にとって有益な面白い作品であり、それに適わなかった作品は一般常識的にもつまらない駄作である」と言わんばかりの考え方は本末転倒と思える
実際に量産されるのは確かなんだけど○○の理屈に沿ってるかどうかに判断基準を置くヤツはクソという点は同意