2016-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20160121221359

だよね。

要するに参照型変数に保存されているオブジェクト比較するときで言うと、

isEqualで等しいと判定される

==で等しいと判定される

という2種類の意味が「同じ」という単語には込められている。

もちろん神ではない人間からすると、isEqualで分子1個分の差異があることを

判定することはできないし、一瞬まばたきした瞬間に目の前にあったもの

別の物体すり替えられていないかを判定することはできない。でも、

意図としては上記のような意味で「同じ」という単語を使っている。

日常生活では片方がtrueならほぼ確実に他方もtrueなので

それで問題ないが、テセウスの船を始めとする同一性問題にする

哲学話でそこを意識せずに話してはいかんと思う。

実際、テセウスの船では「同じ」という単語を廃して

上記の2つの意味を明確に分けて語れば何の問題もない話になる。

記事への反応 -
  • その意味での同一性の話なら、関数型言語と手続き型言語の両方をやってるプログラマなら自然に理解してると思う。 「1秒前の自分」の話も。

    • だよね。 要するに参照型変数に保存されているオブジェクトを比較するときで言うと、 isEqualで等しいと判定される ==で等しいと判定される という2種類の意味が「同じ」という単語に...

      • Equals()の話なら、そりゃ「どのクラスにおいてインスタンスを比較するか」の意味で、そのまま「群盲象を評す」の話になるやで。 データ的同一性はどうだってよくて、見る人が「こい...

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