通勤途中に居酒屋の前を通る。通りに面して水槽が設置されており、その中に雑多に魚、えび、なんぞが泳いでいる。毎日前を通るわけなので、メンバーの交代はすぐにわかる。昨日までいたふぐがいない。ヒラメ(カレイ?)がいなくなる。大勢のいわしが増えている。次の日にはほとんどいなくなる。そういったことが繰り返される。それを見て、わが身を振り返る。所属するSI屋から派遣されて今のところに勤めている。もう3年だ。その間にメンバーは入れ代わり立ち代わり、プロジェクトも始まって、終わる。私もいつかいなくなるだろう。注文されて、水槽から出ていくように。水槽の魚たちは死ぬことが約束されている。今朝見た連中はいまごろ死んでいるのだろう。数百円のために。店のために、企業のために死ぬのだから、私と何ら変わらない。日本企業は貢献ではなく、犠牲になることを求めるのだから。生き残った連中にさらに生き残るために、他の連中を殺しにかかる。強烈な篩はブラック企業でなかろうとも、他人に犠牲を強いられて生き残った連中が、同じように犠牲を強いる。生き残った連中を共犯者のように仲間に迎え入れる。そうやってIT業界は運営されていく。
水槽を見るたびに、そういうことを考える。死ぬための魚のためだから掃除はされず藻が茂った汚い水槽。それもふざけたカリカチュアに見える。