ずいぶん深く傷つき悩んできたんだなあ…とため息が出る。
不安はない、焦りはない、人生に意味はないと何度も繰り返しながら、様々な人に相談し、人生の意味づけをどうするかを考え、人生を失敗したと吐露する。
学校や社会に乗らなかったのではなく乗れなかった、人付き合いをしなかったのではなくできなかったという言葉に、絶望したと言いながら社会につながる望みを絶てない苦しさがにじんでいる。
ノート30冊になるほどの思索と思想を持ち、一生働かなくても食べていけるという環境にあるのだから、昔の貴族のように享楽にふけり無為徒食するか、有閑階級の知識人よろしく哲学でも随想でも著作しつつ悠々自適に暮らしてゆけばよい。「社会に乗る」必要もなければ人と付き合う必要もない。なのにどうしてここまで社会に有為の人材とならねばならないという強迫観念にさいなまれてしまうのだろうか。