2013-12-17

「ために書く文」なんか読みたくない

まりに入れすぎたために漏れでてしま排泄物、分泌物が読みたいんです。

絞りだしてるもの読んでも辛いだけです。絞りだしてるから、残量を気にしてしまう。残量が気になるから効率とか求めてしまう。

そんなもんブログにいらんのです。仕事雑誌で十分なんです。

アフィブロガーだろうが、nonアフィブロガーだろうが、目的のためにブログを書いてる連中には反吐が出る。

それが「承認欲求」などという可愛らしいものであっても。

老害と言われようが、おれはd.hatenaが好きだ。

d.hatenaの狼勢の溢れるだけで誰も受け止めない娘。愛が好きだった。

メンバー用の顔文字キーワード登録されている事に気づいた日の衝撃ったら無かった。

キーワード論争が好きだった。

一般人が見ることを一切期待していない、はてなキーワードの裏側で静かな殴り合いが行われているのを眺めるのは、まるで北欧神話の闘争を見るようだった。

小説家が、文化人類学者が、ちまちまダイアリを更新し、基本的に素晴らしいのに時に素っ頓狂なことを言ってるのが好きだった。

筒井康隆万能説が好きだった。

テキスト人格を分離しようという、お題目がまだあった。

お題目すら唱えられなくなって、いまはどうだ。

から増田は好きだ。

個人の一貫性とか死ねばいい。

からTumblrは好きだ。

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