2011-06-14

いつだって感情は混ざるもの

人に言葉を放つ時に、いつも考える事がある

「果たして自分は、言葉通りの意図を伝えようとしてるんだろうか」という事だ

例えば、政治について

汚職対応の遅さ、能力の無さを否定する言葉を言う

しかし、自分は義憤に駆られてそれを言ってるんだろうか

我を忘れて人格否定をする自分

もっと個人的な怒りや、日常ストレスをそこで発散しようとしてるんじゃないだろうか

日常と言えば、その日常でもそうだ

から相談を受けたりする事は、生きていればよくある事だ

その時に、相手の行為や意思や言動を否定している

その時もやはり思う

「果たして、自分は相手を思って言葉を放っているんだろうか」と

自分にとってその究極は、より身近にある他者の存在によって発現する

自分にとって大切な人であればあるほど

その人に対する自分の行為の純粋性が気になる

果たして、自分は……自分の為に、自らのエゴの為に相手を支配しようとしてるんじゃないだろうか

自分の意思や意図や行動や言動の、どこまでが「相手を思って」という綺麗な部分で維持されてるんだろうか

「相手を思って」すら、自らの傲慢で、エゴなのではないだろうか

まりにも受け入れられないから、そういった物を抑圧しているうちに

いつしか自分自身ですら「何を抑圧したかったのか」すら分からなくなってしまった

一体、自分は何が嫌で、どんな自分を殺したかったんだろう

心の大鍋の底で、感情が蠢いている気分になる

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