結果がでてから努力って始めて認められるものなんだなぁ。とは感じているんだ。
だけど、どうしても頭の中にこびりついてんだ。
スポーツ漫画を読むと、主人公の努力がクローズアップされるんだけどさ。
あれに出てくる強敵だとかさ。あいつらだって、努力してるんだよなぁ。とか考えるんだ。
だけど、負けるんだよな。脇役になるんだよなぁ。
見ていて辛くなるんだ。地方第一回戦の相手とかさ。あいつらの方に感情移入しちまうよ。
金メダル候補だとか、散々騒ぎ立てておいて一回戦負けしたら非難の嵐だ。
結局のところ、結果があってから努力ってもんは認められてんだ。
過程もそれなりに重要なのかもしれないけど、結局はその過程だって結果と結びついているから大事なのは結果なんですよね?
努力が足りない?睡眠時間減らせ?娯楽を減らせ?なまけていたという過去へ飛べと?僕、超能力者じゃないんで。
どんなにがんばったとしても、努力が足りないって言っている人が感じている『無駄な時間』ってのはあるんだろうね。
睡眠時間減らせ?娯楽を減らせ? 典型的な「反・努力教」信者だなあ。「努力教信者はこんなにもキチガイなんだ」っていうネガキャンの典型例。 誰がそんな無茶な努力をしろって...
いやそもそもさ、努力って認めてもらう対象が誰か(何か)っていう視点が抜けてると思うんだ。 例えば、認めてもらう対象が「自分が作ったものにお金払ってくれるお客さん」だとす...