2009-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20091026204145

いや違う。これは「全面的」こそがキモだ。動物に対するサディズムはよくないという社会的合意が日本にあるのは明らかだから、苦痛の低減が「部分的」には「罪」を減殺するという意識があるのは間違いない。ただ、その「部分的」の比重が問題だ。少なくとも日本では「気休め」程度以上に受け取られることはまずあるまい。

それは果たしてどうでしょ?「人道的な屠殺」などが偽善と反発される文脈は、肉食や捕鯨についての現行のあり方が批判された場合の反発などが主だと思うよ。逆に現行のやり方と比べて残虐と見なされる振る舞いであった場合には、容易に激しいバッシングが起こるよ、日本でもね。

つまり、日本で「気休め」以上に受け止められると単純に言うことはできない。整合的な理論として「気休め」に過ぎないって信念を持っているわけではない。

意味わからん。あんたこそ「反証が必要」だろうが。こちらは「根拠がない」と言ってるのに、ないことを証明できるか、そんなもん。

動物苦痛の低減が倫理的意味を持つことは、認められているものとしてこの議論は進んでいると認識している。

もちろん、この前提を疑うことは可能だし、疑う議論も実は多いし、そういった議論にも、個人的には面白いと思ってますが

今、私たちがやっているやりとりの範囲内では、この前提自体はどちらも否定していない、と理解していますし、それが一般的価値観であることも合意されている。

一方、「業の自覚」の倫理的価値についてはあなたの側しか認めていない。

つまり、「動物苦痛の低減」には、一歩のアドヴァンテージがあるわけよね。

だから、あなたが行うべきは、以下の二つになる。

1.「動物苦痛の低減」に価値がないと主張する。

2.「業の自覚」の価値が主張。この罪悪感は、実際の動物への配慮につながるから価値があるのではなく(むしろそれは偽善として非難される)、頭の中と口先だけで完結するだけであっても、現実動物苦痛を低減することに匹敵するだけの価値があることの擁護。

ちなみにあなたが1を選択した場合、こっちはアニマル・ライツの人たちの代弁で議論するか、もうちょっと別の方向でゲームを続けるかちょっと悩んでいる。アニマル・ライツの議論の流用の方が頭使わなくてすむから楽だし、文脈にも合ってるけどね。

こっちが「日本はアニマル・ライツが徹底された国だった」と主張しているものとして、それに反論しているの?それこそ藁人形だよ。

ああそうか、すまなかった、では何を言いたかったか説明してくれ。

あなたが、”動物への配慮”を重視するものと考える西洋的発想のアンチテーゼ世界として持ち出してきた東洋像への反論。アンチテーゼとして成り立たないことさえ、示せればそれで議論としては十分。

そんなことを言えば俺から見れば「人道的な屠殺には何の倫理的問題もない」という方がさっぱり理解できないが。

「何の倫理的問題もない」とはこの議論の中では誰も言ってないと思うのだが、この議論の外にはそういう考え方をする人もいるので、

彼らには彼らのロジックがあるのですよ、とだけ言っておきます。知ってた上で言ってるのかもしれませんが。

そもそも、これを言ってしまうとおしまいだが、倫理観の是非を論理整合性で判断するのは危険だぞ。

私がイラつくのは罪悪感を感じることや「感謝の気持ちは大切だよね」的感性それ自体じゃなくて、それで「菜食主義者」や「アニマル・ライツ」みたいな非論理的な連中を論破できると自信満々な連中なので、論理整合性の外側での実践やおしゃべりはどうでもいいです。

ついでにいうと、「アニマル・ライツ」が肉食主義を論理的に完全に論破できるとも思ってないです。

だから、「業」論者がアニマル・ライツを超えるもっともらしい論理大系を示してくれれば、それで十分。

要するに君が理解できるか理解できないか、が基準なのか?

したがって、これにはその通り。

なぜかというと、論理整合性に重きを置きすぎれば行き着く先は原理主義だからだ。

一般的な原理主義研究では、原理主義の特徴はその選択性にあるといわれていると思いますが(たとえば、近代的なものに対する反対物として、伝統の中から選択的にその”本質”を選び出す、とか)。

広義で大雑把な欧米動物愛護精神を指すのであれば、”西洋”の文化的土壌の一部であるのは論理的に自明でしょう。なぜならそれは西洋文化の一部だからです。

こちらは最初からアニマル・ライツだの動物福祉だのの教義は問題にしていないわけだから当然そうなる。

そのあとに「それを指摘することに特段の意味はない」と書いたのを繰り返します。そこに意味はない。グリーンピースでも何でも日本にもいるんだから、日本の文化の一部でもある。

なんでそんなに話を拡げたがるんだかさっぱりだ。

え、私が広げたの?元増田の時点で、論理的に論破してやったぜ!な人なんだからそこが起点なんだけど。

それを否定するとなるとタリバンを否定する根拠がなくなるわけだが、そんなものを当人以外の誰が認めるというんだ?理屈のための理屈はよせ。

ごめん。普通に意味がわからない。

普遍でないものを拒否する権利」がタリバンにあり、タリバンの存在がタリバンを批判する価値観普遍性を否定している。よってタリバンタリバン批判を拒否する権利がある。って話?

当人ってのは私のこと?

  • 普通は”東洋風の発想”とくくった場合、(前近代日本や日本以外の東洋と区別が必要な)現代日本を指さないよ。 あっそうですか、俺の言葉の使い方はあなたの「普通」ではありま...

    • あっそうですか、俺の言葉の使い方はあなたの「普通」ではありませんでした。以上。おしまい。 東洋って大きな括りで出しておいて、現代日本固有って意味で使う人間とまともに会...

      • 意味がわからん。誰も日本では「動物に配慮する発想自体がない」なんて言ってないぞ。 そうだね。君の主張は現代日本にはない、だったね。 全然違う。 「牧畜した家畜を『人...

        • 全然違う。 1. 「牧畜した家畜を『人道的に』屠殺することには問題はないが、それ以外は動物虐待」という分け方は、日本では大きな賛同を到底得られる考え方ではなく、多くの...

          • 2は微妙。「全面的」を外しただけでだいぶ変わってくる。現実問題として屠殺や動物実験において苦痛の低減は行われている。もちろん、これを偽善とする意見もあるが、事実問題と...

            • いや違う。これは「全面的」こそがキモだ。動物に対するサディズムはよくないという社会的合意が日本にあるのは明らかだから、苦痛の低減が「部分的」には「罪」を減殺するという...

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