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2008-02-12

皆さんこんにちわ大塚愛です。

http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/38398/

これを見ろ。エロゲ中毒で一度に3行以上のテキスト見ると吐き気する奴は休みながら見ろ。

恋人にしたい女性アーティスト」、「大塚愛が1位」。

な。見たよな。理解したな。ジャンプすんな。金はいい。

お前らが散々ぱら大塚愛はオタに媚びてる大塚愛

オタに媚びてるって吠えくさるんで、一時期あたしも相当参って

社長に泣きついたら「電車男いいじゃん愛ちゃんエルメスじゃん」とか笑ってんの高卒が。

恨み晴らさでってんで某日収録のトークで「オタ大ッ嫌いなんです、ウザいし臭いし」

って言おうとしたら事務所がスナイパー潜ませてて「おt」まで言った

あたしの口ン中に暴徒鎮圧用のゴム弾が飛び込んできた。

そして全インプラント治療で前歯治すも、

心の傷は癒えないあたしに飛び込んできたニュースがこれよ。

笑った。泣きながら笑った。最後は蹲ってただ泣いた。今なら言える。オタいらねえ。

オタは死ね。大塚愛にオタ不要。

10代から40代までのマラビンビンな世代一般の声として、

恋人にしたい女性アーティストの頂点は大塚愛

今後また大塚愛はオタに媚びてるなんて吐かす豚は躊躇なく殺す。

次の瀬川おんぷ討ち取ったりコピペで馬に乗るのはこのあたし。

回想モード存在海馬の腐ったお前らのために改めて言う。

サブリミナルで脳に刷り込むよう液晶に焼きつけろ。

二度と大塚愛がオタに媚びてるとは言わせない。

糞にたかる蛆は地を這え。あたしは衆生の憧れを受けて大空を翔ける真白き鳥だ。

2008-02-10

女友達が「スイーツ(笑)」になってしまった

俺はいわゆる有名国立大、あいつはお嬢様女子大に通っていた。偏差値とかステータスには大して違いはなかったが、生き方は対照的だった。俺は貧乏人からの成り上がりで、あいつは本物のお嬢様だった。俺には継ぐべき家もなかったので大学勉強したことを武器に稼ぐという生き方しかあり得なかったが、あいつにとってのデフォルト路線は「玉の輿に乗ること」だった。

そんな俺たちが友達同士になったのも妙なことだったのかもしれない。どこか似た者同士でありながらお互いに全然異質なものを持っていたから興味を惹かれたのかもしれない。いずれにせよ、俺たちはあらゆる意味でいい友達だったと思う。壁にぶつかったときは支え合ったし、夜を徹して語り合ったことも数知れない。恋愛感情抜きの男女の友情なんてあり得ないと言う人は言うが、そうでない実例が確実にそこにはあった。

ところで、あいつはほっといても玉の輿に乗れる身分だった。セレブの家に生まれ、セレブ学校に通い続け、セレブの妻となる。何の苦もなくそんな「幸せ」が舞い込んでくるはずだった。だが、その生き方にどこか不満があったらしい。フェミニズムに影響されたとか言っていたから、そのせいだったのかもしれない。ともかくあいつは、男に頼らずに自分の力で生きていきたいのだと言った。そして、そのためにとある難関資格を取りたいのだと語った。俺は賛成した。あいつの最大の弱点は、どこかで「人にやってもらって当然」という発想が抜けきらないところだったのだが、それを克服するいいきっかけにもなるだろうし、何よりあいつには持って生まれた頭と要領の良さがあり、その進路転換には十分勝算があると思ったからだ。

しかし、そこからの道は決して生易しいものではなかった。物心ついて以来まともに試験勉強をしたことがなかったあいつにとって、試験で一点でも多く稼ごうという世界はわからないことだらけだったのだろう。あいつは何度も壁にぶつかった。その度に俺はあいつに勉強のやり方を教え、励ました。とはいっても、特別なことを教えたわけではない。本に書いてあることを勉強することなんて所詮たかが知れているわけで、ただ「自分の理解の程度を直視し、理想と現実の差を見据えた上で、その時点での最大の足枷を取り除いていくこと」を繰り返していけば、意外なほど簡単に視界が開けるものなのだ。あとはそれを地道に繰り返しさえすれば、試験程度ならば簡単に突破できるようになる。俺はそれを何度も強調し、「お前なら大丈夫だ、自分を信じろ」とだけ繰り返したのだった。

道は険しかったが、あいつはどうにか自分の力で一歩でも二歩でも歩みはじめているようだった。俺は安心した。自分の頭で考えることを覚えた人間にとって、試験などは物の数ではないはずだからだ。唯一の不安は、あいつが現時点での点数と合格点を比較して過度に悲観することだったが、それについては「点数を上げる努力試験の直前になってからで十分だから気にするな、まずは内容を理解しろ、それが全てだ」と何度も念を押しておいたはずだった。あとは、不安なときに愚痴を聞いてやるとかの形で支えてやれれば十分だろう。それ以上のことは本人でなければできないことだし、あいつならできると思ったのだ。

ところがその頃、あいつはおかしなことを言うようになった。曰く、「玉の輿の縁談はいくらもあったのに、断らなければよかった」「支えてくれる男がいなければ耐えられない」。俺は叱咤激励した。「お前は何のために敢えて茨の道を行く決断をしたのだ?初心を思い出せ。男に頼らずに生きていくんじゃなかったのか。孤独だというのなら俺が友人として支えになってやる。それ以上のことは他人に求めることじゃない。お前の問題はお前自身にしか解けない」実を言うとこのセリフはほとんどそのまま、俺が挫折しそうになったときにあいつが俺に投げかけてくれた言葉だった。そうであればこそ、あいつに通じない言葉だとは思えなかった。

だが、そのセリフが結局あいつには気にくわなかったらしい。そんなやりとりが何ヶ月か続いたある日、「増田がもっと付きっきりで勉強を教えてくれると思ったのに」「結局増田は、私の女としての本能を理解してくれない」あいつは俺を責めた。俺は怒った。「俺に八つ当たりしてどうするんだ、だいたいフェミニストを自称する奴が『女としての本能』なんて言葉を使うな、一晩寝て考え直せ」。ところがこの言葉が気にくわなかったらしい。ほどなくして奴は連絡を絶った。

風の便りに聞くところによると、あいつは勉強そっちのけで男を侍らせて貢がせているらしい。そのままでは、試験突破することなんてぜったいに覚束ないだろう。だが、あいつは俺の忠告を聞く気なんてもうないようだ。それならば、もう勝手にしろだ。縁なき衆生は度し難しとはこのことだ。

テレビとかはてなとか大手小町とかを見ていると、フェミニストを自称するインテリが実に「スイーツ(笑)」的な発言をしていてうんざりすることがある。女性の権利を主張するくせに、男が思ったとおりのことを「してくれない」と途端に不満を並べ立てるのだ。自己主張をはっきり口に出す気もないくせに「ミソジニーだ」「KYだ」とは余りにも身勝手で腹立たしく、どうやったらそんな思考回路ができあがるのかと理解不能だったのだが、こともあろうに自分の一番身近でその実例を見るとは思わなかった。

追記 はてブで「フラグ」とか書かれてるので一応。自意識過剰と思われるのが嫌だったので書かなかったのだけれど、あいつは実は俺を意識してるんじゃないのかって可能性はもちろん考えてみた。しかし前後の状況をどう考えても、共通の友人の意見を聞いても、全然その可能性はあり得なかった。だからこそ、この話は恐ろしいのだ。

追記2 大学名の憶測が飛んでるようだけれど、試験勉強したことない人がお嬢様女子大っというのは別におかしくはない。エスカレーター校というのをご存じないだろうか?

2008-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20080205092214

救ってほしい、というのはいつの世も衆生の願いではあるけれど。追い詰められた人にはそういうのが必要な時もあるのだろうけれど。

個人的に違和感はあるなあ。自分には必要ないというわけではなくて、ストレート宗教=救いとは言い難い。

2008-01-09

書評サイトに対する作り手側の視線http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080104

ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080105/1199483357

映画監督原田眞人監督日記サイトから抜粋したものを引用しておこう。

2007/8/28より

ネットのおかげで「映画ファン」のスタンダードどんどん堕ちている。どんなにつまらない感想でもだれかに届く時代になってしまった。幼稚な否定的意見が数値となり記録され作品の「評価」として定着する事態も生まれている。こういう「悪貨」を駆逐することは作り手にはできない。「良貨」、「良識派」といった本物の映画ファンの使命だ。彼らが前へ出て大きな声でものを言うことを時代は要求している。すぐれたものに出会ったら本気で褒める。本気で拍手する。それは、映画作りのプロセスに比べたらそれほどむずかしいことではない。

2007/12/25より

日本人の劣化はいろいろなところで顕著だ。ネットの書き込みに見られる「映画ファンの声」でも良識派は少数。席巻しているのは恐ろしくレベルの低い連中だ。自分の小さな世界フィットするものが「いい映画」でそれ以外は「ダメ映画」と言葉少なに切り捨てる幼児的な権威主義がまん延している。当然、学ぶ姿勢が皆無だから映画的素養の深い映画というものは全否定してかかる。そういう「縁なき衆生」に「一票の重み」を与えて増長させているネットとはなんなのか。少なくとも英語圏では映画的素養の深い人々によるプロ映画評がどういうものか集めて読ませるROTTEN TOMATOESのようなサイトがある。日本語ではこれに匹敵するものがない。ネットで高得点を弾き出しているのはベタ映画だけだ。マニュアルのごとき情報垂れ流しで見る前からどん映画かわかっていて見たらそのとおり、なんの発見もない映画が好まれる世界だ。そして、映画界がこういう傾向に迎合して動いている。ヒットする映画はますます公式化して、無能な監督を要求する。ビジネスは成立しても文化は荒廃していく。日本ではとっくに「映画は死んだ」のかもしれない。

2007/12/29より

ヴァーチャル多重人格のテアイの書く「酷評」というのは酷評になっていない。プロ映画評論家の酷評でも作り手にとってどこまで酷評になりうるかという命題を先ず理解しなくてはいけない。作り手をどきりとさせる酷評を書くためには最低でもその作品の背景、技術面をおさえていなければ無理だからだ。

同じことを作家がやったら懸命なる書評ブログの方々はどう反応するのだろうか。

2007-10-25

童話であったよな

天上界の人間は楽してて、下界の衆生が何かみんなで抗争し合って疲弊している話。

そもそも、実力主義世界に入ってるって言う時点で負けだったのな。

2007-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20070914233637

エロ仙人

衆生を救うなら、いまこの場でお願いします。

誘導とか、メアド集めとか勘弁してください。

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