はてなキーワード: 君と僕とは
君が男をとっかえ引返し始めたころ
僕は教室の隅で未来を書き綴っていた
数ヶ月前まで並んで
未知の話をし、そこから有りもしない話を作り上げては
笑い転げていた君と僕の間には
断崖と呼ぶしかない溝が出来てしまっていた
君は僕を見下し
僕は君に眉をひそめた
それから何年もたって君に会った
僕はひとつ夢をあきらめ
しかし着実な道を進み始めようとしていた
君は記憶の中よりもずいぶんとやせて綺麗になって
ずっとずっと大人に見えた
他愛もない話
笑うこともなくただ淡々と昔話をして
時が流れていくのを見ていた
近況の話をしても会話がかみ合わなかったから
君と僕の間にはもはや飛び越えることなど出来ない黒い川が横たわっていて
言葉が、出なかった
君は僕をうらやみ
僕は
何もいえなかった
別れた、いや振られた彼女と3週間ぶりくらいに会った。彼女と言っても女の人という意味くらいしかない、今となっては。
何で来るかなぁ。君と別れて、自分を見つめなおして、変えようと思って一歩出始めたばかりなのに。
そんな時に会いたくなかった。会いたかったけど、見られたくなかった。
そして話をして、やっぱり俺と君とは合わないだろうなと思った。好きだけど、合わないよ。
住む世界が違う。それは全く違う場所ではない。同じ場所なのに、好き好んで違う方向を向いている。
どうにもならない相性の違い。僕は君を受け入れられるが、君を変えられない。変えたりしたくない。
君は君、僕は僕、彼は彼、あの子はあの子。それを受け入れるのが僕で、変えることを望んでいないのが僕だ。
君が望んでも、僕にはできない。それが僕の個性だ。短い人生で僕が得たものだ。
君と僕の違いはそう大きくないかもしれない。でもその小さな違いは楔のように僕と君との間に打ち込まれ、沈み込み、
僕の足元では大きな溝となって広がっている。
いや、やはり小さな溝なのかもしれない。でも多すぎる。無理をして君とともに歩めば、
きっと僕らはその溝に何度もつまづき、傷つき、疲弊するだろう。
君が遠いことが痛いほど分かった。君とは付き合えない。なのに何故僕は君の事を好きだと思ってしまったのだろう。
振られても、なおその既成事実は簡単には消せない。
なんであんなに穏やかに別れてしまったんだろう。なんでこんなに普通にまた出会ってるのだろう。
君が嫌いになりたかった。君を諦めさせて欲しい。そんな感情なかったことにして欲しい。あれは間違いだったんだと。
コンビニ袋の使用量を削減できれば、それは企業活動の成果として資源の節約をアピールできるんだよ。店員は企業の一員として、企業の立場でお礼を発してるんだよね。
コンビニ袋っていうのは、町中にポイ捨てされれば、捨てた人よりも何故か「コンビニめ!」ってことになるし、実際は大した環境圧がなくてもとにかく目立つから、環境問題の旗印みたいになってる。それを使わなくていい、って言ってるんだから、お店から感謝されても何の不思議もないんじゃないかな。
あと、「ありがとう」の言葉はあなたにだけ聞かせるために言ってるんじゃないわけ。レジに並んでる人がいれば、その人にも聞こえるでしょ? その人が「あ、袋か。俺も別にいらねえや」と思えばお礼、というか、挨拶口上の効果ありじゃん。
今日のはてブで非モテタグがついているあたりを読んでいて思い出したことを一つ。
前にいた会社で、フロアの休憩所っぽいところで同期の男女含む数人で一緒に昼ご飯を食べていたのだけれど、その中の女子とたまたま二人でいるときに、その子が呟くように「田中君(仮称)が昼ご飯に来るの、嫌なんだよね」みたいなことを言っていて、僕はよく分からないような顔をして「ふーん、何で?」と受け答えしていたのだけれど、内心はすごく居た堪れなくてしようがなかった。
田中君と僕は同じ姓で、つまりは僕も田中(仮称)なのだけど、僕は○○ちゃんと名前にちゃん付けで呼ばれていて、その扱いの差で窺い知れるというものだけれど、田中君は正直に言って女の子受けするタイプではなかった。だけれど、ご飯をグループ内で一緒に食べるのも嫌というレベルにまで嫌がられているとは思っていなかったので、この告白は結構衝撃的だった。
で、何が居た堪れなかったかというと、僕にしたって田中君ほどではないにしろ女の子受けする方ではないので、この言葉が僕に向けられたものではないというのは偶然に過ぎないということと、田中君がこの状況に全くもって気がついていないということだった(詳しく聞いたところ、その休憩所に来ている女子の総意らしかった)。いや、本当は気付いていたのかもしれないけど。
やぁ増田。君の話を有難う>http://anond.hatelabo.jp/20070320001913
君と僕の違うところは、自分の育った環境が好きだったか否かなんだろうな。父親は現場の技術者で、器用で、なんでも作れて、壊れた電気器具なんてあっという間に直して、村で頼りにされてて、格好良かった。歴史や哲学にも詳しかった。僕の家は、代々そういう人間を輩出した家だった。
僕は、大学に行けとか良い学校に行けとか言われる度に、父親や母親の生き方が否定されてる気がして、心の奥底で反発を感じてたんだろうな。子供だったのでうまく表現できなかった。現場志望だったのに、頑張れば頑張るほど本社仕事コースに乗せられて、周囲がそれをよいことだと信じて疑わないことに息苦しさを感じるようになった。他人の「好意」にすごく弱かったんだ。潜在的にそれを裏切っていたから。
今は、向き不向きの問題なんだと思うようになった。前の会社を辞めた後、その頃の仕事仲間からお誘いがかかるようになって、大好きな「現場の仕事」が出来るようになった。これが幸せなんだ。生きてる気がする。分相応・不相応ってあると思うよ。相応の方向性が社会的評価と一致しなくても。