「スーパーカー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スーパーカーとは

2009-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20090401165159

本当に、カッコイイ車に乗ることがカッコイイ、という価値観は、21世紀に入ってからどんどん崩れていったと思うよ。

「いつかはクラウン」の時代(1960年代?)→スーパーカーブーム(1975年ごろ)→バブル景気で無茶な車を作れた(1990年ごろ)、の次の手を打てなかったんだと思う。文化の継承に失敗した感じ。

いま乗りたい車がないという感覚は、70年代前半生まれの自分にはよくわかる。ファミリーカーばかり作ってるホンダに用はない、みたいなね。

自分中古車に抵抗はないから、好きな車、乗りたい車を中古で探して乗ってます。

でも次は、フィット系の無難な車にしちゃうかも。

結婚したら妻の免許オートマ限定だったからマニュアル車を手放した、オートマ車は味気ないけど仕方ない、なんて話は周囲でも聞くしね。

不景気下での生活防衛を考えたとき、出費を見直す項目の上位に車が挙がるようになった(挙げてもいいと思われるようになった)いま、自動車メーカーには個性のある車を出す余力がないんだろう。

ホンダtodayもかわいくていいと思うなあ)

2009-01-12

仕事中に音楽ききながらいつも思うんだが

スーパーカーは(Am I) confusing you?が一番いいと思う

2008-10-01

素朴な疑問

株価が下がって何が悪いの?上がって何かいいことあるの?

理屈はいっぱいあるだろうが、株価がどうなろうが実生活で影響が出たためしがない。

景気がいいとか悪いとか報道されてても、実生活で影響が出たためしがない。

80年代バブルのときは地方の学生だったからかもしれないが、特に家が裕福になった記憶は無い。村でスーパーカー買った奴もいない。

バブル崩壊してもその後普通就職して仕事してたよ。給料もちょっとずつだが上がっていった。元が低かったんだろうけどさ。

こないだまでいざなぎ景気越えだったらしいが、全然実感無い。給料も上がらなかったし。

むしろデフレとやらで物価が下がって相対的に可処分所得が増えた感のほうがあったかもしれない。

そんな俺は今失業中。生まれてはじめて世間の景気と俺の景気が一致したわ。全然うれしくないけど。

2008-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20080814172536

悪いけどそれは増田の思いこみじゃないか?

自分もロスジェネだが、増田が言っていることに思い当たる節はないなあ。

ロスジェネ世代の友人達芸能人も地味婚する人の方が多いし、バブル的なものを追い求めている節は見あたらない。

例えば30、40代にスーパーカーが売れているとか、そういうバブルっぽいものが好きだというソースや具体例があれば希望

そもそも、元記事は「バブル的なものを追い求める」という話ではなく

青年期に恋愛エンジョイしてこなかったから、結婚して安定してから恋愛の刺激を求めてしまう」という話。

その中に出てきた単語の1つ「恋愛経験値」を「バブル的なもの」と捉えているんだろうけど、文章全体にバブルテイストが流れているとは思えないし、文章を素直に読んでいない印象がある。

2007-08-10

デザイナーだって?お前がなりたいのはシンデレラだろ?

自分がデザイナーかどうか迷ってるという連中が居るそうだ。

そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップコーディングデザインじゃない。

でもWebデザインって言うんだからデザイナーじゃないの!?

そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。

しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?

デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッション上流階級富裕層芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカースターダムにのし上がったカーデザイナー

彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。

それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。

デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。

それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。

高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。

人生アートである」

20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。

もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。

世間で通用する意味辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。

SOHOが内職詐欺に会った主婦を指すように、敬われたいと自称することで自らを貶めることになるのだ。

名を騙る詐欺師は少なくともそのリスクを受け入れる。それすらしない怠惰な愚者に必要なのは侮蔑しかあるまい?

2007-01-05

ウンコ

http://akz.g.hatena.ne.jp/akz/20070104/1167841878

00、01年ロック代名詞的なポジションにいたのは

くるりナンバーガールスーパーカーに異存はない。

その頃は裏原宿系のブランド、それをとりあげる雑誌

そこに載るモデルたちがオシャレに関心のある若者に影響を与えていた。

ここまで雑誌という媒体が力を持っていたのは

まだネットが普及してなかったのも大きいと思う。

詳しくはこの辺を参照してよ。

http://blog.livedoor.jp/hardcace/archives/50527382.html

そして、人気雑誌(ロッキングオンスヌーザー)が

彼らをこぞって持ち上げたことで、多感な少年少女の選ぶ

『僕たち私たちの御三家アーティスト』の評が割れることがなく

刷り込みのようにカリスマ性を得て

人気が根強いものになったんじゃないかと思う。

2007-01-03

6、7年ほど前、少し音楽好きな人たちに人気のある日本ロックバンドって、

NUMBER GIRLくるりスーパーカーあたりだったのだけれど、

今年実家に帰って、高校一年生の弟の話を聞いていると

今そういうポジションにいるのは

RADWIMPSチャットモンチーELLEGARDENあたり?らしい。

聞かせてもらうと確かに格好よくて

「ああ、才能のある若い人はいっぱいいて、ちゃんと若い人たちに届いているのだなあ」と思った。

ああ、けどチャーチルさんとかは、やっぱり大人びてるんだなあって思って、

ってか家の弟と同じ年か、チャーチルさん。ほえー

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