はてなキーワード: ゴーストライターとは
適切な観察と分析。
特に、自分にいまいち自信の無い学生が他のラボに敷居の高さを感じている時に、初対面では人当たりがよくて「自分でも受け入れてもらえそう」「自分の力をここなら活かせそう」「この人になら理解してもらえそう」「今まであまり実績無いし成績も良くないけどここならコンプレックス持たずにそれでも意義のあることができそう」なんて思わせる教授には要注意。業績無いのにメディアに重用されてる教授も黄信号。
気がついてみたら全く指導されずに、運が良ければ教授の研究の代行&論文のゴーストライターぐらいやらせてもらえる、ってことになるかもしれない。
もちろん、本当にそういう研究構想力・教育力のある研究者もまれにはいるが、確率的には大変少ないことを理解し、自分のその時点での自信の無さと依存心の強さを割り引いて冷静に判断することが必須。過剰期待は想像以上に現実認識を歪ませる。
むしろ優秀な教授だけど学生のことをたいした根拠も無く褒めたりはせず、ちょっと厳しそうだな、しんどそうだな、結構揉まれてストレス溜まりそうだな、ぐらいのラボの方が力がつく可能性が高い。
典型例として挙げたい実名がいくつか思い浮かぶのだが、さすがにそれはやめておく。彼らだけを避ければすむ問題でもないし。
私なんぞ、小4の時に「題名は自由です」と言われて書かされた作文に、社会問題を書いたら親が呼び出されて大騒ぎになった。
そりゃそうだよな。小4のくせに新聞記事の受け売りでいじめ問題を大真面目に考察するような作文を書いちゃ。
今思えば、子供がそんな事をわざわざ題材に選ぶなんて、そのクラスにいじめがはびこっているかのような印象を与えてしまうではないか。
まあ実際にいじめははびこっていたんだけど。一番の加害者はその担任教師で、そういえば知恵遅れの子がしばしばターゲットになっていたのを今思い出した。
それ以後我が家では、作文は母親の検閲を受けないと学校に提出してはいけないという不文律もしばらく適用されるようになってしまったし……
大人の視点から見てヤバイ内容は当然、書き直しなので、ほとんど全部書き直しという事も時々あったし、最後には検閲官のご機嫌を取るために検閲官の“提案”通りの内容を書いて提出するのが習慣になってしまった。つまりゴーストライター。そこまでするか。
議員先生のブログを読んでいるとたまにとんでもないのがある。主張以前に頭が悪い・バカで教養が無い。こんな頭の悪い文章載せるくらいならちょっと文章の書ける子供をゴーストライターとして雇ったほうがマシだろう、と他人事ながら心配になってしまう。
ブログだからコメント欄やTBの機能がある。バカなので当然ツッコミが入る。それに対する受け答えも酷い。ツッコミに対して話を逸らそうと的外れな質問で返してみたり、自分の都合の悪い部分には徹頭徹尾口を閉ざしたり、まあネットでたまにみかける典型的な「頭が病気」の人だ。
対立する人たちに馬鹿さ加減を暴露される、というのではなく、自分から進んでブログを通じて馬鹿さ加減を宣伝しているのだ。全く恐れ入る、というか理解できない。
ちなみにこういう議員先生、「党の捨て駒」臭がプンプンしててなんか気の毒になってくる。どうしてこの人は自ら進んで嬉々として党の捨て駒になっているのだろう。というかそういう自覚はないんだろうか?
しかし、こういった考え方は間違っているのだ。それはこの議員先生が議席が減らされた選挙でも勝ち残っているからだ。
つまり、こういう人には立派な存在価値があるのだ。世の中は馬鹿な人間のほうが多いからかもしれないし、バカにはバカなりの利用価値があって、この議員は利用しやすい捨て駒としての評価が高いからなのかもしれない。
あるいはこの議員は自分の支持層として数の多いバカな層をターゲットにしていて、わかっていてそういうキャラを演じているのかもしれない。