はてなキーワード: 生存権とは
違う。君が絡んできたのはこれで、要するに別の分野の話題を持ち出して、「格差を是正すべき」という論法自体を相対化しようとしてるわけね。君との間では話の発端がそこなのだから、論争のレベルはそこで既にメタに移っている。
別にこっちは相対化しようとしてるわけじゃない。むしろもし相対化されたと感じるならなぜなのかが知りたい。大学進学したい人の格差はなぜスカートをはく比率の差を持ち出すと相対化されてしまうんだ?社会的に作られた格差は不公正なものであり、社会的な要因で決まっているスカートの格差も是正すべきと思ってるなら相対化されるはずもない。
少なくとも、憲法では能力に応じて教育を受ける権利が保障されているし、教育権が基本的人権として扱われるのは世界のスタンダードだと思うが、君はそれに異を唱えるということだな?それから第二文はまったく無意味な記述で、機会があってなおかつ機会を放棄した人間と、機会が与えられなかった人間の区別が全く顧みられていないという点でこの論題から全く逸れている。
教育権は義務教育で保障されてるので十分でしょうに。生存権が不死を保障してるわけでないのと同様に教育だって無制限に保障してるわけじゃない。塾や家庭教育や職場の社員教育は税金投入されずに大学がされなきゃいけない理由なんてないと思うんだが。塾や家庭教師や社員教育も望む人がいれば誰でもいくらでも国が保障するということならわかるが、それは世界のスタンダードではないよ。
そして君の「そういう差異を重視しない自分の立場」というのは明らかに自爆で、それならば貧乏人も無能な人間も等しく高等教育を受けさせるべきという結論が出るはずだが。
おいおい何でそうなるんだよ。誰でも高等教育をほしがってるわけではないんだからそんなことにはならない。貧乏というのはほしいものが手に入りにくい状態のわけで高等教育より衣服や住居や娯楽のほうがいいという人ならそれで良いわけだよ。仮に高等教育がほしいとしてもほかのものがもっとほしいということならそっちを優先すべきだろうし、もしそうしないのであれば価値観の押し付けで本人の意思を尊重しないことになる。
実際にもう障害者、特に知的障害者は隔離されてるんだよな、刑務所に。
今の刑務所なんてそりゃもう酷いもんだよ。刑務所内のもっとも単純な労働ですら出来ないレベルの障害者達がわんさか放り込まれている。山本譲司だっけか、ヅラを国費で買ったのがばれて捕まった人の獄中記に書いてるよ。彼らは仕方なく刑務所に入ってくるんじゃなくて,むしろ進んで入って来るのだよ。何故なら現実社会は刑務所より遥かに差別的で生存権すら保障されないから。一昔前に法律を学んだ身としては、何故に存在自体が心神耗弱或いは心神喪失状態の彼らが有責だとされているのか理解に苦しむのだけれど、彼らには身元引受人が存在しないんで検事は上がってくれば起訴せざるを得ないし、裁判官は証拠のみをみて判断しなければならないので、本人が自白して物的・状況証拠ともに揃っている場合には有罪を言い渡すしかない。勿論ここで帰責性判断が入るのだけれど、心神耗弱であれば減刑したとしても有罪になるし、誰からも見放された精神障害者を心神喪失ではい無罪ですといって放り出すわけにもいかないっていうパターナリスティックな判断にならざるを得ない。
挙句刑期を終了していざ現実世界に復帰したところで一人身の精神障害者に対して宿を提供してくれる場所もなければ生活保護の認定を受けるといった知恵をつけ、実際に足を運んで事務処理をほぼ無償でしてくれる人(例えば後見人とか)もいない(何故なら彼らは元罪人であり、罪人であったという事は精神障害者ではないということだから。)わけで、早晩生活が困窮し、刑務所に入るために犯罪を犯す、しかも最低限の理性は残っているらしく、窃盗や強盗といったわかりやすい犯罪は罪悪感からしないらしいんだよね。勢い単純に考えて誰にも即物的被害が無さそうな非現住建造物放火とかに走ってしまう。なんせ放火は罪が重いから長い間刑務所に入っていられるしね。彼らにとっては刑務所こそが安住の地になってしまっている。それがたとえ定期的に追放されてしまう場所であっても、彼らにはもうそこしかないのだよ。下関の駅放火なんかはこの典型例だわな。
元のエントリ主は17歳だそうだから、この手の現実を理解していない事について非難はしないし、隔離せよという発想自体も今の教育環境やレベルを考えればそう責められるものではないとは思う。しかしながら、そのように自らが望むと望まないとに関わらず関係を持ち、考えるきっかけを持つことが出来たのなら、是非ともそのきっかけを大事にして考え続けていって欲しいなと切に願う。
はてな市民は、正当に登録された利用者におけるアカウントを通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸市民との協和による成果と、全サービスにわたって自由のもたらす恵沢を確保し、wanparkの行為によって再び鯖落ちの惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が市民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそもはてなは、jkondoの個人的な動機によるものであって、その権威はヲタどもが勝手に妄想して膨らましただけで、その権力は禿の会社の足元にも及ばず、その福利は雀の涙ほどのポイントである。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反論する一切のコメント、エントリ及びメールを排除する。
はてな市民は、恒久の揉め事を念願し、人間相互の関係を支配する低俗な感情を深く観察するのであって、揉め事を愛する諸市民の公正と信義に信頼して、おまえらのタグとコメントを保持しようと決意した。われらは、揉め事を維持し、誹謗と中傷、罵倒と炎上をWeb上で永遠に再生産しようと努めているブログ界において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、Web上の全市民が、ひとしく恐怖と欠乏に苛まれ、失望のうちに;y=ー( ゜д゜)・∵. ターンする運命(さだめ)を有することを確認する。
われらは、いずれのコミュも、自コミュのことのみに専念して他コミュを無視してはならないのであって、コミュ・非コミュの法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、非モテの生存権を維持し、モテ系コミュと対等関係に立たうとする非モテ系コミュの責務であると信ずる。