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2024-04-12

anond:20240412142454

そもそもラノベ定義なんてあるようでないものであり

あなたがそうだと思うものライトノベルです。ただし、他人同意を得られるとは限りません」

などと言われるぐらいですから岩波文庫ラノベ」とか言っても間違いではありません。

というわけで

ピーター トライアス(中原尚哉訳)『ユナイテッドステイツ・オブ・ジャパンハヤカワ文庫SF

【今週はこれを読め! SF編】日本統治下のアメリカ、不確かなアイデンティティ - 牧眞司WEB本の雑誌

2019-06-02

杉江松恋「完全に百合を性の対象として消費している」って何?

杉江松恋というライターが、ハヤカワ文庫百合SFフェアを批判したらしい。

早川書房、百合はじめます。ハヤカワ文庫の百合SFフェア|Hayakawa Books & Magazines(β)

中でも特に目を引くツイートはこれだろう。

<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

「性の対象として消費している」という、かなり強めの表現で、リンク先の文章画像)を非難している。

しかし、「完全に百合を性の対象として消費している視線」というのは、改めて考えると具体的にはどういう意味なのかちょっと分かりづらい。杉江自身はこの件について詳しく説明する気はもう無さそうなので、この「性の対象ツイートで何を言いたかったのか、こちらで勝手に考えてみることにする。

1.百合同性愛者?

今でこそ「百合」というのは、女同士の関係性を描くフィクションジャンルということになっているが、そもそも語源はそうではない。男性同性愛雑誌薔薇族」の編集長が、男性同性愛者を意味する薔薇族対義語として、女性同性愛者を「百合族」と呼んだのが始まりだ(とWikipediaに書いてあった)

もちろん現代の「百合」には女性同性愛も含むが、それはあくま物語ジャンルとしての話だ。

杉江は「百合」をジャンル名ではなく古い方の用法女性同性愛者の意味に捉えて、ハヤカワ(の編集者)が現実人間を弄んでいるように感じたのだろうか。

現実と一切繋がりのないフィクションなどは存在しないし、社会の中で弱い立場の人々を描く時にはより大きな配慮必要なこともあるだろう。しかしそれはそれとして、ジャンル名としての百合の話をしているところに、(現実の)百合族の話だと思って入って来られてもちょっと困るというのはある。

2.百合女性のもの

現在では誤解されていることも多いが、物語ジャンルとしての百合は元々は男性ではなく女性が書き/描き、女性が読むことで発展してきたもの、らしい。

女性同性愛者や、非同性愛者であっても女性たちが読む分には問題がない。しかし、そこに完全に非当事者ヘテロ男が入ってきて百合を楽しむという行為は、それだけで性的搾取である、というのが杉江の考えなのだろうか。だとしたら、あまりに潔癖すぎる姿勢である

そういえば、やはり批評家ライターでありハヤカワでも仕事をしている牧眞司という人物も、以前こんな発言をしていた。

SF評論家・牧眞司「異性愛者で恋愛経験もなさそうな人が百合とか言って喜んでる」(7/28追記) - Togetter

百合には、批評家という人種の心を滾らせる何かの因子でも存在するのだろうか。

3.ただの誤読

リンクツイート引用されている文章には、こういう一節がある。

例えば、終末の世界女の子2人が旅するのが“エモい”のです

分かる〜。

しかし、本来の内容はどうでもいい。問題は、「エモい」という表現だ。

エモい」と「エロい」。似てはいないだろうか?

「終末の世界女の子2人が旅するのが“エロい”」

杉江は、こう見間違えたのではないか。これならたしか性的消費と言われてもしかたない。想像力暴走気味な気はするが。


恐らくはどれも正解ではないだろうが、今回の件を考える上で、少しでも皆の助けになれば幸いだ。

 
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