はてなキーワード: 柔道部とは
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20070511090445
民族紛争の割と多くが、「このままだと我々民族がゆるやかに殺されてしまう」という状況から始まってる。たとえば北朝鮮と日本が陸続きで、過去に日本民族が北朝鮮民族の圧倒的火力に制圧されているとする。北朝鮮はもちろん自国も満足に維持できないぐらいだから、当然制圧された日本民族は、最低限の文化的生活どころか生命の保証すらないまま暮らさなければならない。明日には親や兄弟や恋人や親友が目の前でただの肉の塊になるかも知れないし、個人では絶対にそれを止めることができない。「日本民族の結集に繋がる」と判断されて日本文化に関わるものは全て禁止され、厳罰の対象になる。母から教わったお手玉禁止されお手玉の所持が発覚した母は目の前で動かなくなるまで殴られる。弟が僕を元気付けようと小刀で竹とんぼを作っていたことが発覚し目の前で射殺される。恋人は僕があげたお守りを手にしていたことが発覚し、わざわざ僕の前に連れて来た上で数名に犯される。親友のうち一人は学生時代に柔道部だったことが発覚し連行され戻ってこない。これは別に大袈裟なことを言ってるのではなくて、日本人にわかりやすいものだとアメリカ移民のインディアンへの迫害やナチス・ドイツのユダヤ人迫害など、僕が挙げた仮想日本民族迫害と大差ないかもっとひどいことをされてることだって沢山ある。言うまでもないがこうやって暴力的扱いを受けた民族は民族としての独立を主張し、抵抗する。そりゃそうだ、苦しんで苦しんで苦しんでみんな死んでいくぐらいなら抵抗して死んだ方がマシだ。
というのが割と多くの民族紛争の原因なんだけど、これが平和ボケした日本人にはよくわからない。ごめん、僕も偉そうに言ったけど正直理屈がわかるだけで彼らの本当の怒りや憎しみなんてわかってないと思う。
侵略戦争に対する抵抗だって歴史から民族迫害の可能性が充分にあることを学んでいるからこそ起こるわけだし、実際現在でも民族迫害はチェチェン紛争やチベット民族浄化で普通に発生してる。アフガニスタン戦争でスンニ派への虐殺とそれに対する抵抗も割と最近まで続いてた。彼らは民族の元に終結しないとただ苦しんだ上で殺される。全ての民族紛争を否定するのではなくて、こういった事例もあると充分に認識することがまず重要だと思うよ。あなたのエントリでは「殺し合いをするのなら民族剥奪すべき」としか書いてないから迫害される側への配慮があるのかどうなのかよくわからなかった。
打って変わって民族を制圧する方だけど、ナチス・ドイツなんかは民族に基づいて他民族を迫害したいい例だよね。インドネシアだって隣国が社会主義国になりそうだから自国に都合が悪いって理由で、政治的な可能性を放棄した挙句「東ティモールが望んだ」と主張して東ティモールを制圧・併合して無差別大量虐殺まで行ったわけだ。言うまでもないけど自分の民族を優先して他民族を虐殺するような奴らは裁かれるべきだ。もちろん「自分の民族を優先して他民族を虐殺するような奴ら」だけね。あなたの言うようにナチス・ドイツとその思想に代表されるような迫害民族・意識は根絶されて然るべきものだけど、だからってドイツ民族ゲルマン民族全体を消すだけの正当な理由なんてどこにもない。そもそも平和的方法では絶対に消せない。それでもドイツ民族ゲルマン民族を根絶させたいなら、ドイツ民族ゲルマン民族を虐殺するしかないね。
追記: anond:20070511122322 で僕の馬鹿な言葉の使い方を指摘してもらいました!訂正しました!
夢の中で目が覚める。昨日まではテストだったらしく、「やっとテストが終わった」という様なことを考えている。時間を見るとまだ早いが、寝ぼけながら登校の準備をする。記憶が飛んで駅のホーム。ちょうど電車が滑り込んできた。女の子が大勢並んでいるドアと、誰も居ない空いているドア。空いているドアから乗車しようとすると、「こっちの方が空いているよ」と女の子達がやってきて不愉快に思う。
ドアにもたれながら窓の景色を眺めている。通っていた高校とは逆方向の電車だが気付いてはいない。ふと着ている服に目をやると何故か体操着。しかも下は白の短パン。これは中学時代の体操着姿だが、やはり矛盾に気付いてはいない。寝ぼけながら準備したせいかなと訝り、このまま登校するか戻って着替えるか逡巡しつつ周りを見回すと、他の人からは不審には思われていないようなので心底ホッとする。結局戻って着替えることにし、直近の駅で降りて反対のホームへ。この駅がまた実際にはあり得ない駅だったが、詳細は省く。
ホームで電車を待つと何故か柔道着姿の二人が。これは中学時代に数ヶ月で辞めてしまった柔道部に居た同級生だ。気まずいので身を隠すもすぐに見つかる。自分を棚に上げ、そんな格好でどうしたの?と問うと、これから大会だと答える二人。そして彼らはホームで乱取りを始めるという異常事態だが、柔道着で移動する奴が居るくらいだから体操着で学校に行っても問題なかったなと考える私。すると新たに一人の女の子が登場。中高と一緒だった腐女子だ。こんな所でどうしたの?と問われたので、かくかくしかじか。今日は体育ないもんねぇなどと話しつつ、到着した電車に乗り込む。車内では何故か普段どこで髪を切っている?という話。オススメの店を教えてもらう。
ここで記憶が飛んで自宅近くの道路。路上に自分の布団が敷いてある。そして何の疑問も持たずに布団に入り込む私。だいぶ支離滅裂になってきた。前方からワゴン車がやってきて、見知らぬおばさんが家の前で荷物をおろしている。車も来たし布団をたたまないと邪魔だよなあと考え、布団を抱えて家へ。布団が埃っぽいので物干しに干す。布団を叩くと大量の埃が舞う。ムキになって叩いていると、先ほどのおばさんがやってきて、介護用品のご用はありませんかと尋ねてくる。見るとお年寄り用のオムツを抱えている。さらに布団を叩きながら、うちはまだ必要ないですと答えると、「そうですよねえ。お金は大事にしないと」と悲しげに呟き去っていった。ここで目が覚める。