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2009-12-06

現代右翼世界的に見られる特徴。

モリス博士の著書より

1:他のあらゆる忠誠に対する国家的忠誠の優先

2:平等と国際的連帯を強調する思想宗教への憎悪

3:反戦平和運動に対する反情と「武徳」への憎悪

4:国家的「使命」の謳歌

5:国民伝統文化を外部からの邪悪な影響から守れというアピール

6:一般に権利よりも義務、自由よりも秩序の強調

7:社会的結合の基本的紐帯としての家族と強度の重視

8:あらゆる人間関係権威主義的に編成しようという傾向

9:「正統的」な国民宗教または道徳確立

10:知識人あるいは自由職業人に大して、彼らが破壊的な思想傾向の普及車になりやすいという理由から、警戒と猜疑の念を抱く傾向

どうして世界的に似通うんでしょうね。

2009-06-29

finalventさんの日本語は、バカの私にゃ難しい

finalventさんの文章を興味深く読ませていただくことがたまにあるな、と考えていて、しかし、ほとんど書いてある事が日本語としてよく分からない、残念ながら(半分以上か)。

大変、失礼のような気もする、しかし、シンプルエントリーということもあり、読ませていただいてるのにどうかとも思うのだが、いつもは雰囲気で読んだような気になって流していた文章ではあるのだが、今日はちゃんと自分なりに翻訳を試みてみたいと思う。

そういえばと考えてみると人生観を決定づけた一冊の本としての「ソロモンの指環」

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090628/1246181415

翻訳始め)

私の人生観を決定づけた一冊の本ソロモンの指環」

つらつらと下らない事(※直前の数エントリーの事)を書いていて、なぜ私はそう考えて(※直前の数エントリーの事)生きてきたのだろうと考えてみると、「ソロモンの指環」という一冊の本に思い至った。

私は人間の性行動(恋愛なども含めて)というものを、動物のそれとして見ている。このヒトという種の特性はなんだろう?というふうに。

もしかするとそんな特性なんて無いのかもしれない。

ただ、種としての行動、特に性行動にはやはり基底となる特性があって、人間存在というのはそういうもの(性行動においてしばしば種として共通の特性を持つもの)なのだと思っている。

私は他者の性行動をおおまかに見る時は、動物の一種として見ている。もちろん、私も含めて人それぞれに違いはあるが、その違いは大したものではない。

私は自然科学少年だったので、津島佑子みたいに、芋虫を飼ったり、植物を育てたり、交配させたりという事を小学校低学年の頃からやっていた。

そして10歳までにはほとんどの生物について生殖に関する知識を得ていた。ただ人間も似たようなものだということは知らなかったので、知った時は驚いた。「うわ、人間やってらんないな、ぐへ」などと思った。

しかし、事実事実なので、それはそういうものなのだという事にしておき、ローレンツ博士の「ソロモンの指環」などを愛読していた。

(今思うと、ノーベル賞受賞前から読んでいたと思う。)

その後、デズモンド・モリスの「裸のサル動物学的人間像」なども読んだ。

この手のものは当時流行していた知識で、その流れの上に現れた栗本慎一郎の著作などもよく理解できた。

今にして思うと、ローレンツモリスも栗本も、偽科学なんだけど。

アマゾンの「ソロモンの指環」の読者評にこんなものがあった。

ドリトル先生+ムツゴロウさん, 2007/2/13

By タック (神奈川県) - レビューをすべて見る

 子供時代の愛読書は「ドリトル先生」だった。

大人になったらムツゴロウ王国に行きたいと思っていた。

 もしも僕がこの本を中学生くらいで読んでいたら、もっと動物寄りの

人生を選択したのではないだろうか。

人間をもっと動物的に見るようになっただけかもね。

翻訳終わり)

がんばったけど分からなかったところ

種というか類的な行動は特に性行動の基底にはあるわけで

人それぞれに違うし、ただ、私の違いもその程度の違いというか。

完全にギブアップ。かなり勝手解釈した。

そこはかとなく偽科学

「はっきりしないがなんとなく偽科学」?だろうか。例えばローレンツが書いていた事が一部、後になって間違いだと判明した件などを指しているのだと思われる。

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505032216

陰毛が無いとエロいのか、はたまた有るからエロいのか、というのは文化によって違うというようなことをデズモンド・モリスという学者が述べていたような気がする。欧米だと女性陰毛整えたり無毛にしたりするのがポピュラーなんだよね?

2009-01-27

ディーター・ラムス展 感想

http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_2263/pid_2.html

・かつて、「家庭電化製品の“かたち”」が大きなメッセージを伝えられるメディアである、デザイナーにとって幸福だった時代があった。'60~'70年代中期までの話だ。

当時と現代では、そもそも生活家電だけではなく、「生活道具」と人との関係が違っている。

・この人のデザインは、我々工業デザイナーにとって喉に刺さった骨のようなもので、これこそが「正しい」デザインと教えられてきたし、自分もそう思ってきた。間違いなく現代デザインの大きな源流(原泉)の1つだ。常に脳の片隅に、これこそが正しいデザインなのであって、我々は日々、間違ったものを作っているのだという意識が、引け目がある。

・実物を観察してみた限りでは、結局、これはこれで1つの時代の主義・主張・イズム・メッセージであって、

人とモノの関係というものに「正しい」「間違った」ということは、その時代の価値観に照らして決定する、相対的なものでしかないということ。

すさまじいほどの醜い製品が氾濫していた当時と、低コスト品でもそれなりの質感を持つ現代では人とモノとの関係も全く違ったものとなっている。

・「工業デザインとしての正しさ」自体はあらゆる時代に通用するものであっても、そのプライオリティは時代によって違っており、結果、常に「工業デザインとしての正しさ」が優先されることはなくて当然、ということ。

・現代においてこのメッセージは、経済性やパワーへの希求など、現代人の価値観に優先され得ないであろう。つまり、マスとしては受け入れられないだろう。

・たとえばデザイナーに衝撃を与えたオウムの「サティアン」。あれは「目に見えるものには価値がない」「中身にこそ意味がある」とするあまりにラディカルな思想を体現していたわけだが、あそこまで極端でなくても、「実用に耐えれば外見は問わない」といった考え方は、醜い中国製の筐体を使ったデスクトップPCや、100円ショップ製品でかまわない、とする現代人に通底するものだ。

・丁寧に作られた製品は、持っているだけで幸福を与えてくれる。それはクオリティブライフ、その人の人生価値そのものである。そういった製品がほとんど量産されず、ごくニッチになってしまっている現状は、人にとって間違いなく不幸な状態である。

・しかし、実用品は「とりあえずないと困る」ものでもある。醜い製品でも用が足りれば、とりあえずその「力」は手に入る。現代の多くの人が求めるのは何よりその「力」である。

良い、悪い、以前に、そのような時代だということだ。

近代工業デザインの始祖、モリスは、あまりに醜い量産化された食器や壁紙生活家電などのコンシューマ向け製品(生活品)のありかたに憤慨し、「アーツアンドクラフト運動」で、たとえ工業的にでも「丁寧に作る」というクラフトマンシップを大切にする考え方と、工業時代の新しい美の価値観...シンプルイズムを創造する、という2つの提案を行った。

・それらの主張は、このデザインドイツの超絶的な加工精度で市場に出た時点で完成を見、その後衰退していったものと考えられる。

・この人のデザイン本質は「禁欲主義→形の単純化・ミニマリズム」と「形のバランスリズム」と「質感の高さ」である。

・今では不可能な質感の高さ・加工精度がシンプルな形状を支えている。たとえばラジオ筐体のプラスチックの肉厚は2mm以上ある。このような製品は成形時間の短縮・材料費節約などの要請で、現在では作れない。

また、ラジオ他のスピーカー穴も「切りとばし」形状になっているが、安全性や金型作成の作業性などの問題で、これも現代では作れない。

・そのために犠牲にしたものも多い。直線で構成された食器などは明らかにバランスや機能が劣り、日用品・生活品としては失格である。

・これはよく言われたことだが、本当に筐体の裏面の金型まで磨いてある製品は初めて見た。

裏面の加工をしない事が、日本製品コストが安い要因であり、ドイツ製は間違っている、という言い方がされたが・・・今見ると、それこそがドイツ製品の「ありよう」の要であることがわかる。

・たとえ壊れたとしても飾っておきたい風格のある日用品が現代のどこにあるだろうか。

現代ではドイツでさえそういった製品は作れない。一種のオーパーツのようなものになってしまっている。

SONY製品の、特に初期のデザインは、この人の直系、ぶっちゃけモロパクリである。

・参考:TV番組NHK美の壺」-「民芸

 http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20090116.html

・参考:書籍:Yanagi Design―Sori Yanagi and Yanagi Design Institute

http://www.amazon.co.jp/Yanagi-Design%E2%80%95Sori-Design-Institute/dp/4582620442/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233064510&sr=8-1

・参考:展覧会柳宗理-生活のなかのデザイン

 http://www.momat.go.jp/Honkan/Sori_Yanagi/index.html

2007-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20071213220335

おまえに不法投棄の何がわかるというのだ。

不法投棄の草分け・ザックモリスの伝記でも読み直せ。

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