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2007-02-19

[][][][]今日の朝刊の時流自論より

2ちゃん哲学板とかいつぞやはてブでヒットしたニセ科学菊池誠さんのBlogじゃないがそこらへんでよく見かけるフマ?なる人物がプライベートモードに追い込んだらしい本田由紀という方が最近朝日新聞で何かの賞を取ってそこらへんの流れからかその人が時流自論を最近担当している記事を読むことがあるのだけれども今日の記事をザッと独断と偏見引用してみる。

企業の「家族依存」を正せ

まとめるとこんな感じだった((まとめてるか、ちゃんと要約できているかはわからない))

  1. 低収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模であるのに何故それが今現在看過されているのか
  2. 批判的な論調では若者が豊かな親世代に依存パラサイト(寄生)しているため。「若者の甘え」という問題なだけだ。
  3. しかし現実ではそうした個人単位家族単位ミクロレベルの説明を超えた規模で進行している。((ここに関してはデータの見方でまだ反論があるであろうところだろうけれども))
  4. 問題は現在では「マクロ社会システム間の関係性」という観点からの把握が必要になっている。
  5. 社会学者の居郷至伸の近刊論文での見解に興味深いものがある。
  6. その居郷氏の見解について本田氏が敷衍した記述が次だ
    • ミクロな説明は、仕事家族の間に「若者の甘え」という心理的要因を介在させることで、問題を若者個々人に帰責してしまう。しかし若者の甘えという無根拠((ここはまた異論があるかもしれないところだ))な要因を除去し、より大局的な見地から見れば、経済システム家族システムとの直接的な((直接的なのかは微妙かも(間社会的に)間接的に、とかじゃないのかな))依存関係という事実が浮かび上がる』
  7. つまり、これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせずに社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在、その資産が企業側の依存に対しいまだ有効であるからであり現状で必要な生活保障の責任を各方面が放棄たらしめていることは長期的に持続可能なものでなく非常に脆く暫定的なものである。
  8. それゆえ家族単位などの社会領域、保護領域を持たぬ若者においては現下でも厳しい困窮状態に置かれている。
  9. 日本経済発展を遂げえた時期に労働していた親世代は今後数十年の間にこの社会を去る。その後に残されるのはむき出しの低賃金労働者の巨大な群れではないだろうか
  10. この現今の以上の問題を含む社会システムをどうするのか。「再チャレンジ」政策や「成長力底上げ戦略」は、機会の実質的な拡充を伴わないままに、問題を個人の努力というミクロ次元すり替え結果に終わることが危惧される。
  11. それに対して本田氏が挙げる具体的な政策の例としては『無償ないし生活費保護を伴う職業教育訓練の大幅拡充や、丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルールを整備した確実性の高い就労支援、生活保護対象の基準緩和((生活保護下からの自立を支援する様々な政策))などが求められる。それらの実現のためにも、個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。』とのことだ。


こういう見解は初めて見たので興味を持ってこちらにメモとして書き込むことにした。

問題は現在、平均的な共通社会意識が「ミクロ次元」の問題として認識するような社会環境に現状の日本にはあることが挙げられるかもしれないかな、と。

それは個々人が協同する機会が希薄化されているかもしれないことにも関連するだろう、とも思う。つまりインターネット((一例として挙げているだけで複数の現在00年代日本における様々な間人媒体がって話っす。かな))というような副次的生活主体がリアルな生活主体を希薄化させてそしてまた双方が空中分解たまま進行していっている現今の社会環境が、その機会・可能性をますます低下させたまま進んでいっている、のかな、と。

以上、歿。((こんなに引用していいのか(Φ皿Φ)クワ?って今ちょっと不安に思いながらさて外出します図書館とかに。ひきこもりが。))

ていうか今確認画面見たら脚注、使えてないじゃんorz

> anond:20070219094329

マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。

マクロに見合った職があるような経験っていうか教育を受けるマクロなものが無いってのもあるかもね。

ていうか両方じゃろうて。マクロミクロをますます。ミクロマクロをますます。じゃないかな。

いい感じに悪循環生み出してるからその分のマイナス部分を国がどうにかせんと負債としていつか暴落しちゃうぜってことでは。大量粛清としての自殺者の切捨てっていうのとかで(ry。うふっ。

2007-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20070215170507

所詮自分の周りというミクロ人間関係の中でしか感じ得ないことなのに

なんでマクロな話にできるんかわからないのよね

自分の実感しか議論できないのならば社会学は成立しない。

これ以外のセンテンスは論点がずれているので前述の通り無視。むしろなぜ論点がずれていると再三指摘しているのにそれを無視するのか、という心理的な問題に興味がある。

http://anond.hatelabo.jp/20070215164020

所詮自分の周りというミクロ人間関係の中でしか感じ得ないことなのに

なんでマクロな話にできるんかわからないのよね

友達がそういった形式が嬉しいから呼んでくれてるんでしょ?

なんでこっちの気持ちを押し通そうとするわけ?

形式張ってるのが問題なのか?友達がそうしてくれって言ってるんでしょ?

なのにそれを いや俺はそういう形式ばったの嫌いだから… っていうのは

わざわざ自分のこと考えてくれてる友達に失礼じゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20070215164951

披露宴マトリクスも結構ミクロな話題だと思うけどなあ。

ミクロマクロというのは絶対的なものではなく、相対的なもの。私は「披露宴マトリックス」を基準に個々人の披露宴感をミクロな問題としているが、それよりも外側の視点から見れば「披露宴マトリックス」もミクロな問題だろう。だがそういう顕微鏡ごっこをやっていては話が出来ない。

友情という首輪の上から披露宴という首輪をかけるのはきついからやめてくれ、

という話でしょ(多分)。

個人的な問題で言えばその通り。問題なのはその「首輪」がある種社会的合意的なものになっているということで、これはどうなのかということだ。

それなら、友情のほうからどうにかしたほうが良くないか?

これは議論が広がりすぎて私の手には負えないので勘弁。

冷静に考えると

http://anond.hatelabo.jp/20070215164020

披露宴マトリクスも結構ミクロな話題だと思うけどなあ。

友情という首輪の上から披露宴という首輪をかけるのはきついからやめてくれ、

という話でしょ(多分)。

それなら、友情のほうからどうにかしたほうが良くないか?

http://anond.hatelabo.jp/20070215163049

じゃああんたは結婚したとき祝儀もらっても嬉しくないんだろうなあ

俺は俺がそうなったときそうしてくれたら嬉しいから

そうしてるんだよ

コンセンサスとかどうでもいいの

祝われる相手が嫌だって言ったらしないし

あんたは自分が幸せなときに人に幸せだよって言いたくならないんだろうな

私は社会的なコンセンサスの話をしているのに、貴方は終始自分の話をしている。自分がそもそも最初のエントリの趣旨を理解できていないことを自覚すべき。その上でどうでもいいのなら絡まないで欲しい。私は披露宴マトリックスというマクロな話をしているのであって、ミクロな話はしていない。

私は結婚したときに祝儀をもらえれば嬉しい。自分が幸せな時に人に幸せだよというのは恥ずかしいのでしない。その問題と、「披露宴二次会をするのが当たり前となっている(=社会コンセンサスとなっている)」事実を問題化することは全く別の問題だ。

私に反論したいのであれば、以下の設問に答えなければならない。

立ち会わない形で祝うことを選択できないのはおかしいとは思わないのか。貴方のように祝儀をあげて時間を潰して結婚式に出て「おめでとう」という形式をなぞらなければ、本当に祝ったことにならないのか。

これ以上論点がずれそうならばもうレスポンスはしない。

http://anond.hatelabo.jp/20070215160100

否。君がanond:20070215153329で表した反応は、「その発想」がコンセンサスに基づいているという決め付けだ。コンセンサスの可否を問うているか否かとは関係が無い。

コンセンサスの可否を問うことと、そこから娯楽感を得ている者が全てコンセンサスを経由していると決め付けることは同義ではない。よって勝手に無効化すな。

ならば初めからそういう風に問うべき。貴方がやったことは、私の発言を一般化し無効化しようとする試みで、私はそれを再度無効化しただけの話だ。

「その発想」がコンセンサスに基づいているという決め付け

そもそもanond:20070215152515は当初提示されていた「コンセンサスの可否」の問題を、ミクロシチュエーション矮小化し、正当化しようとした。既にこの時点で議論は本題から外れている。なので私はanond:20070215153329で議論を元の問題へ吸収し、その後本題へ戻すことに成功している(anond:20070215155624)。よって私が「決めつけ」を行ったことはいわば戦略的な要請によるもので、いささか乱暴な方法ではあったがご理解いただけるだろうか。

社会コンセンサスと自主性」という問題はまだ別の深いテーマなので、本題からそれるのを避けるべくやらない。その後この話を続けるのならもうレスポンスはしない。

2007-01-13

重みなしで一様に評価した多数決なんてWeb上には存在しない。

http://anond.hatelabo.jp/20070113025103

マクロな現象をミクロな個人の視点から語るのが間違ってないかい?

いわゆるセカイ系批判でしょうか。

だとしたら誰が言っているかが重要になりませんか?

皆が一様に世間知らずならば、まさにその通りなのだが、そんなにバカばっかりが語っているとはあまり思ってないのよね。(楽観過ぎる?)

まぁ、ノイズノイズとしてフィルタリングできないひとはネットを利用すべきではないですよ。

2007-01-08

空気より大事なものなんてあるにきまってる

「自分の権利を侵害されている場合であろうと空気読め」とか誰も言ってないじゃん。そうじゃなくて、非コミュがどーだとか話ベタなんですとかメソメソ言ってるから「それはあなたの話しぶりを見るにたぶんあなたが空気を読まないタイプだからなのだとぼかぁ推測するんだけど、ためしにこれこれこういうふうなことをしみてたらいかが?」と提案してみてるわけでしょ。

それをなんだ、mixiは自分の気持ちを思いのまま書けないからイヤだとか、正しいことを正しいといって何が悪いだとか、挙句の果てには「飲み会で無理やり飲まされるのが空気なら俺はそんなの拒絶する」とか言い出して。誰がそんな話をしてんだっつーの。

空気」って概念に対する印象がうんだかんだ言ったって意味ねーからこっちは「空気」の中で自分をうまいことマネジメントするコツみたいなものを提示してるのにさぁ。あんたの好きな「本質的な話」ではなく、小手先のテクニックの話をしてんの。理屈こねてないで実践してみろと言いたい訳だよ、そこまでのステップはなるべく細かく刻んで心理的な抵抗も小さくしてミクロ成功体験を積み重ねていけるような具体的な方法を考えてみてそれをお伝えしてるわけだよ。

一言で表現しちゃえば価値観を変えろと言ってるわけ。おまえさまの価値観を否定してるのです。こういうのを全否定と言います。そこでまたその言葉ヒステリックに反応して感情に任せてギャーギャー言ったり揚げ足とって満足しててもしょーもないでしょーが。バカバカしい。俺は寝る。

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