「○○が悪いという主張は ××のことを無視してる(から○○である私は悪くない)」
という論法を使う人が一考に居なくならない。
それは○○も××も両方悪くて、○○こと自分の擁護にならないことが、どうしても理解できないらしい。
まあ、バカだからしょうがないといえばないのだろうけど
しかし、「○○も××も排除される」ということがちゃんと理解れば、
「○○も××も排除しないのが正解」という寛容さ、
エセじゃないリベラルの結論にたどり着くはずなのだが。
まあ無理か。無理だな。それが全体の趨勢になるのは。
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