時間帯や一定の形式にはまった時間の中でみているときは、83-152の自宅を、このかたちの中でみているとも言えなくはないが、延岡なんぞバカしかいないようなところで
自宅をそういうふうに見ている者は想像できない上、仮に、ここを自宅としたとしても、誰も住んでいない空き家のような感じであり
うちの母親が存在する場所を、警察が見ているような形の中で見たことはないし、そんなことをしようとしたら、オカン光殺法で殺されるので、うちの1階に降りたときにそういう風にみたことはない。
あるときに、この形の中で動くと、犯罪者の悪魔が動かしているテクノロジーの恩恵を受け得られないともいえないが・・・ 富美山の南区において、そのような状態になることは
極めて難しいと言わざるを得ない。