1986年(昭和61年)6月に、3年生部員が2年生部員に対して、敷地内の池にスリッパを投げ込んでそれを取りに行くように命令する[1][2]。
その時に命じられた部員の1人はスリッパを取りに池に潜り込んだが上がってこなかった。それに慌てた3年生部員は、
たまたま近くにいた桑田真澄の父親に助けを求め、それからレスキュー隊を呼び引き上げられたが死亡していた[3]。
スリッパを取りに行かされた者は複数いた。その池は人工池で底に行くほど極端に冷たかったことから
心臓麻痺を起こしてもおかしくない状況であった。上がってこなくなってから引き上げられるまで、1時間半~2時間程経過していたとい