政治と宗教との関係が取りざたされているが、一体、宗教とはなんなのであろうか?
例えば、自らの信ずるところを教義として「自分教」を唱え、ただ本人一人がそれを規範としたとして、いわゆる伝統宗教と同程度の配慮を受けると思えない、これはなぜなのだろうか?
ちなみにここでは例えば宗教法人といった法人格を得るために必要とされている要件の話はしていない。
私にとっては「宗教上の理由」と「個人的な信条による理由」についてごく平均的に配慮されるべきと見なされる領域が異なるように思われる。
これはなぜなのか?宗教学?などでは極めて基本的な問いだと思われるが、説明されているのであろうか?
Permalink | 記事への反応(1) | 23:07
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古参宗教なんて黴臭いライフハックだろ、延命させるために集金装置になっただけ、あとは自分で悩みを論理的に解決できない頭の悪い奴らが他人任せで暢気に生きるための方便な
いろんな見解があると思いますが、「宗教上の理由」というのが少なくともある程度はまかり通るのはなぜなのか、不思議ですねという話です。