ダサいかダサくないかっていう観点、ほんとに要らないと思う?
大学の哲学の先生の言葉で心に残っているのは
若い人はよく正しいか正しくないかだけで判断しようとして悩んでいるが、そこに美しいか美しくないかという観点を加えることで見えてくるものもある
という話で、迷ったときによく思い出して役立っている。
ありえる多様な観点はありがたく利用したらいいのではないか。
元のポストは自分が守りたい何かがダサいって言われたかなにかでむかついてその観点自体を消し去りたがっているように想像される。
ダサいって言われたそれが実際ダサいのか、ダサかったとしてそれはいけないのかを考えたほうがいいような気がする。
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