それなのに、いやそれだからこそか、楽しみだ。10月26日が楽しみでならない。
どこのだれなのか、わたしたちを名付け、意味づけるものは、まるでこの皮膚にべったりへばりついたように剥がれがたい。
それでも、時折、人がただひとつのいのちとして、瞬間の輝きを見せることがある。
名をなくし、意味をなくし、ただ強烈に光る。ただただ強烈な輝きを放つ。そういうことがある。
いけすかない野郎だからなんだというのだろう。気味の悪い母親だとしてだからなんだというのだろう。世間知らずの愚かな娘だとして、どうだというのだろう。
生きて、喜びに叫べばいい。
躓いて、泣き喚けばいい。
それらはすべて光に変わる。より強く強く光ればいい。
その光を頼りに歩きだす者もいるだろう。
ただ茫然と眺める者もいるだろう。
自分もと光を放つ者もいるだろう。
どうせいずれすべての光が消えうせる。
10月26日が楽しみでならない。
そのかすかな響きを遠くで祝おう。