表現においては、フェミニズムが女性に対しても「公共の場でわきまえろ」としてムチを振るうことが可視化されたばかりだ。
なぜそこまで「男性の目に写った女性像」ばかりを気にするのだろうか。
フェミニズム、どこかで女性の身体自体に対する嫌悪感、忌避感があるのでは?
「インチキ自己肯定」から来るミソジニー 根底にある寂しさ:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASP9X3QKKP9JUPQJ00K.html
ミソジニーとは、そういう秩序に割り当てられた女性性から外れた女性、いわば「わきまえない」女性に振るわれるムチです。
Permalink | 記事への反応(2) | 18:45
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なぜそこまで「男性の目に写った女性像」ばかりを気にするのだろうか。 それにより迷惑を被っているからです。
あ、気にしてるんだ。
「公共の場でわきまえろ」は、「はしたない」の言い換えに過ぎないと思うんだよね。