それは歴史的パンデミックの最中であった。本来予定されていた2020から1年の延期の後、大幅に感染状況が悪化した2021年夏、時の菅内閣や小池都知事らによって専門家らの反対を押し切り東京五輪は強行された。
国民もほんの一時は疫病禍を忘れその興奮に酔いしれたが、すぐに過酷な現実に引き戻された。五輪関係者が入国を始めた頃から感染者は増加の一途を辿り、閉会式を迎える頃には既にコントロールが不可能な状況になっていた。やがて国民は自らの命によってその高過ぎる代償を支払わされるのであった。
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