やってることは大差ない、かけっこや力比べや球遊びかもしれんが、見たい人の数とか動いてる金とか中止になったら首くくることになる人の数が全然違うよね。「私にとっては」違いがないとか、「私にとっては」子供の運動会の方が大事というのは心情的にはわかるけど、社会に与える影響が全く違う。
社会的影響の大小を無視して「うちの子供の運動会は中止したのに五輪はやるのか!」というのはあまりに自己中心的。そう言う本人も違う話だとわかっているのに、わざと混同して話してるんだろう。こういう感情的な批判ばかりが蔓延ってしまうのは良くないと思う。
Permalink | 記事への反応(3) | 02:39
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そもそも運動会を中止にしたのは五輪とは全く関係ない自分らの判断何だから文句のつけ方がイミフ
野党第一党がそんなイミフなこと言ってるんですよ。 立憲民主党 @CDP2017 「子どもの運動会は中止になった。でも、オリンピックは開催するらしい」「あの我慢はなんだったのか」 ...
そんな細かい話に興味ないんだよ。 まず先に感情が来る「子供の運動会がなくなって悲しい」。 そのあと感情の矛先を探し、吐き出す。 その時の理屈は後付けでそれっぽいものを出す...
笑うぴーなっつくんかよ