2021-05-10

小学校に入る前、親に風船を割られたときから自分は歪み始めたのだろう。

ある日、風船をもらった。

その時の心境としてはこうだ。

「いずれ萎んでへなへなになってしまうのだろうけど、この風船は大事にしよう」

そう、いずれ劣化し捨ててしまものであれ、それまでは大切にしようと思った矢先、急に母が自分の風船を奪い取り尻に敷いて割ったのだ。

もちろん当時はこのような言語化などできず、自分はただ泣くことしかできなかった。

母は何故泣くのかと笑っていた。

とはいえ、許せない何かが芽生えた。

かに第三者的に見ればくだらないことだと思う。

たかが風船なのだ

ただ、あのとき大切にしようと思った心を踏みにじられたことだけは、いつまでもいつまでも許せないでいる。

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