小学校に入る前、親に風船を割られたときから、自分は歪み始めたのだろう。
ある日、風船をもらった。
その時の心境としてはこうだ。
「いずれ萎んでへなへなになってしまうのだろうけど、この風船は大事にしよう」
そう、いずれ劣化し捨ててしまうものであれ、それまでは大切にしようと思った矢先、急に母が自分の風船を奪い取り尻に敷いて割ったのだ。
もちろん当時はこのような言語化などできず、自分はただ泣くことしかできなかった。
母は何故泣くのかと笑っていた。
親とはいえ、許せない何かが芽生えた。
確かに、第三者的に見ればくだらないことだと思う。
たかが風船なのだ。
ただ、あのとき大切にしようと思った心を踏みにじられたことだけは、いつまでもいつまでも許せないでいる。
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