表現の自由戦士は、表現の自由のために戦っているのではなくて、表現の自由という武器を手に個人的に好きな表現を守っているにすぎないので、表現の自由という道具を使っているからと言って、表現の自由のためにお前も一緒に戦えって言われても、それは本音と建て前をさかさまにに考えているからお門違いですとしか言えないんだよな。表現の自由を勝ち取ってきた人たちのおかげで好き勝手言うことができるはわかるけど、政治的圧力だろうがテロ的な脅迫だろうがなんだろうが、負けてるんだから、表現の自由とか言う建て前ないしは一つ上のレイヤーの概念では力不足だったと認めたうえで戦略練ってほしいんだよな。
Permalink | 記事への反応(2) | 18:39
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結局左も右も「守りたいのは自分の好きな表現やデモやアジだけで、気に食わなければ燃やしたいんだ」というのを認めてもらわないと話が先に進まないよな
「表現の自由戦士」は、建前上はそれでも「どんな表現も守るべき」と言ってる。 対するサヨクはどうか。 「ヘイトの自由はない」と言いながら日本へのヘイトをして批判殺到。