2019-05-05

「こうでありたかった」と「こうでありたい」とは、言葉こそ似ているものの実はぜんぜん別のもので、もし「こうでありたかった」というものを目の前に提示されたら、人は泣くか喚くかくらいしかすることがなく、そのいずれも決して楽しいものではない。

そのもっとも純度の高い「こうでありたかった」を提示してくる作り手ってのがたまに、たぶん生きてるあいだに出会った作り手のなかに数人はいて、そういうものとは、ちょっと冷静には向き合えない。

それは、喉が渇いているときには塩水のようなもので、そんで年を食ったら今度は塩分控えめでないとやばいぞってわかるから、飲めない。飲めないのに体は欲している。これを「難儀なもんだな」という一言で括れる日は来るんだろうか。

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