2019-01-14

anond:20190114192744

科学的とか正しそうとか、そういうのが縋るものが無い人間には危ないんですよ、自分がそれで失敗した。

宗教盲目的に信じるべきものを与えてくれる、だからこそそれに縋っていればいいし、縋って心休めることが出来るだろう。

他に縋るもののある、または縋らなくても一人で在ることのできる強い人間は、そんなもの必要ないだろう。

だけど、縋るもののない人間宗教すらも捨て去ると、本当に何も無くなっちゃうんだよ。

本も人も自分すらも信じきれなくなって、過去記憶も疑わしいし未来展望も疑わしいし、そしてそういう思考がぐるぐる脳裏に渦巻いてしまう。

縋れないと、何かを正しいと信じることすらできなくて、間違ってると信じることもできなくて。

今こう書いてるけど、これも書いた瞬間には既に自分のものかどうか信じきれないんだ。

記事への反応 -
  • 何がアッラーアクバルだよと

    • 宗教は必要悪だと思う。 縋るものなしに健やかに生きていける強い人は、それほど多くはないと思う。 宗教でなくても何らか縋れるものを持ってるそこそこ強いばかりでもない。 自分...

      • そもそも、宗教というのは昔の正しいと思うこと詰め合わせ。 科学的思考というのがデカルトにより提唱されるまでのは「誰かが言うから正しい」というのが正しさの根拠であり、それ...

        • 科学的とか正しそうとか、そういうのが縋るものが無い人間には危ないんですよ、自分がそれで失敗した。 宗教は盲目的に信じるべきものを与えてくれる、だからこそそれに縋っていれ...

        • レーダー照射の騒動を見れば科学よりも日本が正しい宗教のほうが強いのがわかる

      • そうやって粋がったことを言ってる連中も50過ぎて60過ぎて70過ぎれば全員信者に変わってる 若いときは天才だった数学者や科学者もな

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