1785年、土佐沖で嵐に巻き込まれて難破し、12日後に伊豆諸島の無人島・鳥島に流れ着く。
鳥島はアホウドリの群生地であり、それらを狩り、あるいは卵を食べながら生き延びた。
鳥島は、黒潮の海流の関係から、難破した船が流れ着くことが多かった。
長平の漂着から三年後、五年後にも新たな漂着があり、一時は18名もの人々が暮らしていた。
ちなみに、後にジョン万次郎が漂着し、アメリカの捕鯨船に拾われたのも鳥島だった。
やがて彼らは船で島を脱出することを決意し、5年がかりで船を完成させた。
1797年に島を出発した彼らは、首尾よく人が居住している青ヶ島に辿り着き、八丈島を経て江戸に帰還した。
土佐に帰国したときにはちょうど長平の13回忌が営まれていたという。