2018-06-03

市役所

隣に座ったのは大きく×印が書かれたマスクをつけた女の子だった。少女は頭で小さく礼をすると、わたしの隣に腰掛けた。

×印は太めのマッキーで書かれたようで、ところどころ線が震えていた。

ミッフィー?」

わたしが訊くと、少女は首を振った。黙ったままわたしに目で微笑みかけた。

「じゃあ、ナインチェ・プラウスかな」

少女は首を傾げた。「それって」言い掛けて、慌てたようにマスクを手で抑えた。それからしばらく、わたしたちは黙ったまま窓口に並ぶ行列を眺めた。

少女はまわりを伺うと、マスクをずらして耳打ちしてきた。

言葉は出しちゃう自分のものじゃなくなるんだって。取り返せないの」少女が囁いた。「だから守っておかなくちゃ」

「それは言ってよかったの?」

わたしは訊いた。少女は笑って頷いた。人好きのする、活発そうな笑顔だった。

「これはあたしの言葉じゃないから。本で読んだの。さあ、さっきのを教えて」

わたしたちは話をした。おもにわたしが話し、少女は頷いたり微笑んだり、首を傾げたりした。わたしは話しながら、自分言葉彼女のなかで色とりどりに彩色を施されるのを想像した。わたしも口を噤みたくなったが、それにはもう、ひとに多くを喋りすぎてしまっていた。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん