お世辞・社交辞令という文化がある。
相手を気遣う優れた文化であるとされているが、果たして本当にそうだろうか?
お世辞・社交辞令を耳にするとき、大半は「相手を気遣っているふりをしてただ単に自分が悪者になりたくないだけ」という保身目的しかなかった。
お世辞・社交辞令に限らず、自分が悪者になりたくない、つまり自分の言動に責任を負いたくないなら、そもそもの言動を厳に慎むべきであろう。
もはや何が社交辞令で何が本当かわからず、他人の言うことを信用できない。
Permalink | 記事への反応(1) | 13:23
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お世辞と社交辞令は重なる部分もあるが、違う部分も多い てか、お世辞は相手のためと言うより、自身の保身や売名の為に行われる場合が多い
確かにお世辞については貴殿の言う通りだ。 しかし社交辞令についても、たとえば何らかの申し出や誘いを断る際に使われるものは保身目的しかないものがある。 「機会があればまたお...
ってかその笑い声超気持ち悪いから止めてもらえます? 卑怯者ってお前のことですよね