原子爆弾落とされてから70と何年か。時間は感情と認知を研ぎ澄ます、語り部になるとなおさら。丸山真男は体験に口をつぐんだと言われるけど結局言語化することは主観に時間をかけて研いできた光景の印象であって。被害がどの程度のモノだったか、っていうのはコアの位置と温度とか、人体が受ける熱の温度とか暴露時間とか、そのへん勉強すりゃ自明であって「焼けただれた皮膚が爪の生え際で引っかかって剥がれ切れずデレンと」みたいな描写で語り継ぐ必要ってあるのかな、って。
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