もし、私が白い白鳥を何度かみて
すべての白鳥は白いと断言しだとしよう
私は肯定される。
自分の考えを正す準備はあると言ったとしよう。
さて、ここで黒い白鳥が見つかったとしよう。
もし、誰かに責められれば私はこういうだろう。
だけど、すべての白鳥は白いというの発言は、本来はこうあるべきではないか
現時点ですべての白鳥は白い
こういうべきだった。
私は自分の考えを正すというのを、間違いをただ肯定するだけであり
もし、間違っていたとしても現在の私も、過去の私も責められる理由は全くない。
自分の考えを正すどころか、肯定することを運命付けられている。
ある断言を悪いというわけではないが、あまり信用できないものでもある。
そもそも間違いを責める必要性はなく、ただ彼に認めてもらわなければ
しかし、彼は認めないだろう。
つまり、彼のすべての白鳥は白いと断言した、時点での訂正が求められる。
それがお互いのためだろう。