2016-04-02

帰納的な逃げ道

もし、私が白い白鳥を何度かみて

すべての白鳥は白いと断言しだとしよう

いかなる反論も、現時点で白い白鳥しかいないことで

私は肯定される。

もちろん、私はもし黒い白鳥発見されたら

自分の考えを正す準備はあると言ったとしよう。

さて、ここで黒い白鳥が見つかったとしよう。

もし、誰かに責められれば私はこういうだろう。

今まで白い白鳥しか観察されなかったじゃないか

さらに私はすべての白鳥は白いと言う発言撤回する。

過去の私は帰納的に見て正しく、現在の私も帰納的に正しい。

だけど、すべての白鳥は白いというの発言は、本来はこうあるべきではないか

現時点ですべての白鳥は白い

こういうべきだった。

私は自分の考えを正すというのを、間違いをただ肯定するだけであり

もし、間違っていたとしても現在の私も、過去の私も責められる理由は全くない。

自分の考えを正すどころか、肯定することを運命付けられている。

ある断言を悪いというわけではないが、あまり信用できないものでもある。

そもそも間違いを責める必要性はなく、ただ彼に認めてもらわなければ

彼の発言との整合性がとれなくなってしまうだけだ。

しかし、彼は認めないだろう。

まり、彼のすべての白鳥は白いと断言した、時点での訂正が求められる。

それがお互いのためだろう。

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