薩摩はてっきり、地政学的な事情で勢力を蓄えられていたと思っていたのだけど、どうも違ったみたい。
土地がカルストで痩せていて、且つ外様大名としての悲しさかな、遠国での普請なども続き藩政や財務は危機にひんしていた事を経済、経営改革で乗り切って力を蓄えていたという事らしい。
地政学的な視点「だけ」で勝手に偏見持つのも考えもので、色んな視点で見ないといかんねー、と反省した。
Permalink | 記事への反応(1) | 20:46
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琉球を事実上の植民地にして搾取してたのもあるでしょ
もちろんそれも念頭においた上でちょろっと書いたのだけど、薩摩の琉球征伐は1609年とかなりの初期なので、それが経済的に薩摩を救って、末期の倒幕活動ができるようなレベルにはす...