割と簡単にお股を開くようになっていく、なんて割とどこにでもある話。
どこにでもある話だし、そんなことに何の感慨も無いんだけど
この人が重ねて残念だなと思うところは、そんなありふれた、あからさまなことをするのにも
「これは芸術ですから」って言い訳しないと出来ないみえすいた虚栄心と羞恥心。
「女性器はわいせつではない」または「わいせつとするのは不当だ」と思ってるなら
ジオラマとかボートとかでカモフラージュする必要が無いだろう。
無修正の性器なんてWikipediaにいくらでも転がってるし、それだけで逮捕にはなんないでしょ。
カモフラージュしないと出せないってのは、わいせつ性を認めてるのと同じなんじゃないの?
そのことに気がつかない残念さ、または気がついてるのに認めることができない残念さ。
「私はわいせつだと思いません。」と「ナニはわいせつである」の溝を埋めるためのカモフラージュだよ。 よく、子供の野菜嫌いを治すために、ハンバーグに刻みニンジンを入れるとか...
つまり、ろくでなし子は「世間がわいせつ性を認めている」という事実を充分認識した上で 「自分はわいせつとは思わないからわいせつじゃない」と詭弁を弄しつつ 自作のわいせつ性を...
近いんだろうけど、本人的には「わいせつだと思うことでもオープンにすることでわいせつ性が殺がれることもある。その代表例が我が女性器である!」ということをアートを通して主...
まんこがわいせつ物である場合、すべての女性はわいせつ物所持の現行犯になるわけですよ。 どんなに清純な顔したうら若き乙女も、「お前はわいせつ物を持っているな?」と聞かれた...
いや、なんか論点が「わいせつとは」みたいなほうに巧みにすり替えられてるけど 「わたしのことかまって~!わたしの万個見て~!」が「アートです」とか言ってるのがおかしいって...