一人で日記に苦しさを書くだけになって
自分一人で苦しみを抱え込んで死ぬ可能性もあるんじゃなかろうか。
ネットに苦しい辛いを書くことで
第3者と苦しみと辛さを分かち合える可能性もあることはこの医師はわかってないんじゃなかろうか。
(まあ、その苦しみと辛さを燃料にして弄ぶ第3者もいるから)
なぜなら「そこに感情が乗っかっていないから」「プリントアウトされた文字はつめたい」のだという。
「こうやって文章こねくり回さなくったって、要は『つらい』『くるしい』ってことでしょ? それで充分じゃん」と。
彼女は「こういう長文(=インターネットに書き連ねられた悲痛な叫び)」を書くんだったら、
僕がまた別口でノートに書いていた、涙で滲んだ「つらい」「くるしい」っていうストレートな感情の吐き出し方のほうが好きらしい。
(赤いインクで「ぼくがいなければこんなことにならずに済んだのに」みたいなことが何個も書き連ねられて、それらは乱れた字体で激しく滲んでいる)