2013-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20130511105009

比較可能な知識以外になにかしらの知識があるとしたら、それ自体が哲学、つまり智恵を愛する態度といえる。

これは同意

無知の知というのはソクラテス賢者である認識した根拠であり彼自身の良心から自己肯定的な評価で、一切の博識は完成しない事の比喩から

これにも同意だ。でも、元の文章はその他がまずくて説得力がない。

元の文章には、

・知恵を愛さない人は、知識を得る事の快が他の快より小さい

・満足した豚より不満足なソクラテスの方がよい。

・つまり、満足した凡人より不満足な哲学者の方がよい。

・無明者らは迷いの中にあって輪廻のうちに死んでいくだろう。

・その外にあって知恵を愛する人はこの現世の煩悩から逃れる術を知っている一部である証拠でもある。

という一連の流れがある。

「知恵を愛さない人は、煩悩から逃れる術を知らない。一方の知恵を愛する人は、煩悩から逃れる術を知っている」と言いたいのはわかるんだ。

でも、途中で「満足した豚より不満足なソクラテスがよい」とか要らんこと書いているでしょ。

高尚なことを言いながら、煩悩にとらわれた傲れる文章を書いておられるわけです。よって最後の一文は説得力に欠ける。

その点を無知の知と言っているのですが、わからなかったらいいです。すんまそん。

  • 読み違えているかわざと誤解して相手を罵倒しているだけだな。あなたはあまり性格がよくない。 「不満足なソクラテスの方が豚よりよい」というJSミルの命題は、煩悩社会の否定をし...

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