身近によくある理不尽。
たとえば、他人から「あなたの性格は頑固だから治した方がいい」と言われた場合、
自分が頑固ではないことを証明しようとすれば「頑固」のレッテルがべったり貼りつくし、
逆に素直に肯定をしてしまえば、それはそれで「頑固」のレッテルを自ら貼ることになるし、
「本当に頑固だろうか」と保留しても、保留したいと考えていること自体が「頑固」を示す証拠になってしまう。
つまり、「あなたは○○である」と宣言されたときから差別や偏見が始まっており、
それを、言われた側は払しょくできないという宿命の輪に閉じ込められてしまうのだ。
そして、この一方的な暴力性について発話者は全く気づいていない。