最近というかネットであらゆる情報が流布するようになり、日本の中での私、世界の中での私というポジションが明らかになりやすくなるにつれて、満足度の到達点が天井に張り付いてしまったように思えます。
安くてお得な買い物、行列のできるラーメン店、グッズをコレクションした数、人々のアテンションを集めることなど、あるゆることがらについて、上澄みの目立つところとその他の比較になってしまった。
本来ならば、多様な満足の形が存在したのだろうけれど、小さなスマホの画面からは入ってくる情報との比較はみんなの幸せを少しずつ削る消耗戦のようだ。
本当ならば、十分に満ち足りているはずなのに、みんな足りていないと思い続けている。
もう十分、余った分は他の人に分けてあげようという気持ちが少しずつ生まれれば今よりずっと良くなるはず。
小さな幸せが見えなくなった目を身近なところに向けてみよう。
そうですよねー。 しかし、悲しいかな。資本主義社会では足るを知るは成り立たないのです。 単純にお金というものはフローしているものなのです。 何も贅沢しなくても、食費などで...