教師とは教員免許を持ち、教職についているただの専門家なのだから当然だ。(「専門家」にすら値しない教師もいる)
「教師は偉い」という価値観は、子供(とその親)が教師を尊敬している方が、「教育」というシステムが上手く回るから維持されている。
それが全人格的なものか単なる知識かは置いておいて、教えを受ける側が、教えを授ける側を見下していたら、少なくとも教育の効率が落ちるのは自明だ。
また、子供の教育を教師にある程度委ねる以上、親として「教師は尊敬できる人であってほしい」という願望の面もある。
元増田も、本当は「教師は尊敬できる存在であってほしい」と思っているんだと思う。
そういう教師もいる。
今まで尊敬できる先生ってのに出会えなかったせいもあって、先生という職業をえらいとは思っていない なのに、まわりの人間は先生なのー、すごいわねー。と、無条件にほめる。 身...
実際には尊敬に値しない教師も、尊敬に値する教師もいる。 教師とは教員免許を持ち、教職についているただの専門家なのだから当然だ。(「専門家」にすら値しない教師もいる) 「...
何の先生なのか分からんのでなんとも言えないが、医者や大学教員だったらまぁだいたい凄いだろう。 それ以外の普通の学校の先生とかなら、単にお世辞で言ってるだけ。
ただの学校の先生です。中学だったかな。
社交辞令 もしくは心労に対しての発言
単なるお世辞。あるいは発言者が下流なだけ。
学校の先生に限らず、人から何か教えてもらうんだったら、相手を敬うべきだろ。その人の性格や性癖は別だ。
生徒の立場だったら一理あるけど、関係ない周りがそう言ってるのがどうなのかじゃないの?