2011-05-26

会話すること。ただただ頭の中で思うだけじゃなくて声として言葉に出してみること。音読。相互に影響力を持つ心の読み取り機。

姉とネガティブなことを話し合った。僕は自分がどれほどクズ人間か悲嘆にくれて、そんなの私も同じだと姉は受け流した

姉は父に対してどうしても苛立ってしまうと自己嫌悪に浸ったが、僕はそれが父親のあるべきテンプレートだよと慰めた。

それからは互いに自分がどれだけダメな奴か、閉塞的な部屋の中で閉塞感に押しつぶされながらぐだぐだとテレビをつけて語り合った。

たったそれだけのこと。何かしら特出すべきことがあるわけでもなく、かといってどん底まで堕ちているわけでもない平凡そのものなやりとり。

それだけなのに、少しだけ心が浮いた。ダメダメだと独りで絶望ごっこをしている時に比べて、羽毛一つ分くらいは軽くなった。

そんなもんじゃない。もっともっとたくさん軽くなった。傷の舐め合いをしたからかもしれないけれど、傷の認め合いをしたからかもしれないけれど、ちょっとだけ楽になった。

音と音、声と声、顔と顔を付きあわせて言葉をやり取りするのって、すごい力を秘めていることなんだと思う。

もちろん、すごく力のいることでもある。でもその力を引き出すことによって、ぐんっと景色が近くなる。光の明暗がはっきりとしてくる。

声を、言葉を誰かにかけてみる。そうすればきっと、きっと何かが変化する。変化して欲しいと願ってみる。

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