「腹が減っては戦はできぬ」って言うけどさ
戦なんかする必要ないじゃん。
そんなことするくらいならいっそ飢え死にしてくれ。
改憲派のネトウヨじゃあるまいし誰でも戦したがってるわけじゃないんだよ。
お前が死ね。
生きていくことは戦いです。
「腹が減っては戦はできぬ」と言ってる人は食べて戦ってる。
戦う気が無いということは、生きる気がないということ。
死ぬしかない。
生きていくけど戦う気が無いというのは、あなたの代わりに戦ってくれている人(ご両親など)がいるから。
生きていく上で、戦ってない人はいない。
食べることは、何かに勝利して、食物としている。
ちょっとわかるな。
自信を失ってしまうんだよな。
だから希望が見いだせない。
結局のところ、ながーくサラリーマンやってると、
会社の都合であっちいけこっちいけされるわけだから
ときには自分が絶望的に才能の無い仕事をまわされることもあるんだよね。
俺の場合は「メルマガを書け」って言われたときだった。
面白い文書けって言われたってさ、そういうのがすらすらと書ける人もいれば
そうじゃない人だっている。
でも、大体罵倒する人は、自分ができることを棚に上げて罵倒する訳で。
そりゃあ自信もなくしますよ。
だいぶイキイキと働けてると思う。
別の才能を見いだしてあげることが大事なんじゃないかなと思う。
つっても、40すぎてる人だったら、全然違う仕事するってのも抵抗あるのかもしれないけどさ。
その場を納めるための方便でしょ?
矛盾してないと思うよ。
個と公を分けて考えないで、どっちかの立場で考えてみた場合はどうですか?
例えば殺された人のいる被害者家族は死を悲しみ、犯人を憎むのは当然。
人生が続いて行く中で、その死に囚われてしまって、人生が成り行かなくなったら困りますよね。
(今の時代で家族にとっての核武装が思い浮かびませんでした。すいません。戦国時代なら、家族が生き残るために他人を殺すとかなんでしょうけど。)
国家だって同じで、過去を忘れないのは大切ですけど、いつまでも過去に縛られ続けても仕方が無いでしょう。
その過去のために国家を続けるのを止めるのであれば、いいんでしょうけど。
国家だって続けて行くのであれば、続ける策をとるのは、おかしくないと思います。
境界性パーソナリティ障害だから。
よくあることで、運が悪かったんだな。気にするな。問題はそこからどう脱するかだ。
この障害はあんまり薬は効かないので、優秀なカウンセラーを頼れ。
「カウンセリングルーム」で検索して、もっとも頼れそうな人に頼め。
わたしにそれを教えてくれた人にたどり着くだろう。
頑張れ、信じろ。
必ずたどり着く。
確かに。経験したから、凄く、わかる。
話しても、上っ面のきれいごと言われたりして、増々苦しくて。
ひとつ言えるのは、私も前までとてもとても苦しくて
死んじゃいたいって毎日思って、些細なことで涙が出て、
一人のときには大声で泣いていたけど…今、すごく穏やかだということ。
どれだけの間苦しむかわからないけど、苦しいのはいずれ終わるってこと。
その原因が解決しなくても、終わる。ちゃんと、終わります。
終わるまで耐えられない! 気が遠くなる! 1日たりとも我慢できない!
って気持ちもよくわかるので、
私の言ってるコレも綺麗ごとなのかなぁ、と思うけど…。
似たような事言われて俺(男)の方が姓を変えた。
正直名前を変えるとアイデンティティに不安を感じるってのは意味は分かるが理解はちょっとできない。
別に俺はNo.4という名前でも存在に不安は抱かないだろうから。
でも意味は分かるし、どっちか変えなきゃいかんなら問題ない方が変えればいいだろう。
まあ結婚式で叔父が一人帰ったりしたらしいけど。
使い勝手としてはまあ戸籍上の話で会社では旧姓使ってるけど、さすがに税金と国民保険が絡むと駄目だね。
たぶん今から転職したら旧姓使えなくなるんじゃなかろうか。
別姓使えるなら戻すよ。事実婚は不便だからちょっと。
別に30過ぎてからでも全然、いいと思うけど…発言自体が最早、駄目っぽい気が。
増田でこんなこと書いてる暇があったら動けばいいじゃない。
せっかく図星をついたアドバイスをされてるのに、まだ素直に認められずに逆ギレしてるあたりが「どこが謙虚で性格いいんだ」って話になるんですよ。
だから非モテは自分の能力の低さを認め、邪魔にならないように避けている。
昔、アメリカに留学したてで車に乗っていたらフリーウェイ上で後ろにパトカーにつけられマイクで何か言われた。当時英語がわからず、何言ってるかわからなかったのでどうしていいかわからず、しばらく走ってから止まったら警官がエライ形相で凶悪犯を逮捕する時のように銃を構えて近寄ってきた。警告を無視し続けたのでタダ事ではないと思われたらしい。
友人が鬱寸前という診断を下されたらしい。
そうなるまでの経緯に多少の違いはあるけれど、
友人の今の様子が7年前の自分とかなり重なる部分がある。
少なくとも、生きる意欲が著しく減退していて将来への希望が根こそぎ無くなっているようだった。
「自殺」って事すら考えに上らない感じ。
電話越しに相談に乗りながら、かつて自分が似たような状態だった時の
周囲の人たちの気持ちにちょっとだけ触れられた気がした。
上手く説明できないけれど、少なくとも悪感情じゃない。
「何かが有れば助けよう」&「そのサインを見逃さないように適度な距離で見守ろう」
と、気負い過ぎずに平熱で決意できている感じ。
なんでそんな事をするっと思えるかって言うと、
結局その友人が理屈抜きで大事だからとしか言いようがない。
自分自身がグズグズになっていた当時、
本当に周囲の気持ちとしてそうだったか実際の所は分かんないけどね。
そういう風に自分から考えられるようになったそれ自体かなあとか素人考えしている。
ひとまず友人に関しては共倒れにならないようにバランスをとる事には気を配りつつ、
でも声が届く範囲に寄り添っていようと思う。
ある日大復活する可能性も有るんだけどね!
そうなれば最高だし、そうならなかったとしても
別に何も問題は無いんで気長に養生しろよな、って当事者には言いたいんだけど、
今それを当人に行っても真意は通じないんだろうなあ。己の経験からしても。
まあいいや、伝えなくても意味のある気持ちだって有るさ。きっと。
具体的にありがとうございます!
どちらのブランドも、昔いいなと思っていたものでした。でも最近まったく服売り場に足を踏み入れていないので忘れていました…。
ヒールのある革のサンダルを買ったばかりなので、靴はしばらく大丈夫そうです。かばんは大きく斜めがけなので、せめて肩掛けにしようと思います。
自分で書いていて、見た目より便利(かばんは大きく、斜めがけで楽)を優先しているのだなとつくづく思いました。
そりゃだめだよね、という感じです。
違う違う、そうじゃ、そうじゃなーいー
せっかく図星をついたアドバイスをされてるのに、まだ素直に認められずに逆ギレしてるあたりが「どこが謙虚で性格いいんだ」って話になるんですよ。
ヒント;
これら4つのエロの違いを考えてみよう!
エロはエロでも、本人の要望やキャラ・スタンス、立ち振る舞い。普段の言動、色んな物が従属変数になって変わっていくものだと思うよ。
ただひとくくりに「エロ=もてない」ではない、単に「エロいくせに必死に隠してそう=なんかキモい」なのがバレてるだけだと思う。
普段、よく殺人事件のときなんかに「被害者の気持ちに寄り添って考えれば許せない気持ちになる。絶対に死刑だ!」的な事を言う人がいる。
で、こういう原爆の日前後のこういう特番や集会の季節になると「反戦サヨに騙されてはいけない。プロ市民や左翼のお涙頂戴的な昔話に騙されずに、核武装を推進するべきだ」的な事を言う人がいる。
正直、絶対両方言ってる奴がいるんだろうな~と思う。なんだろうな、それ。
「スケベはモテない」って聞いてたんだけど
たぶん間違ってます。
たとえば、ある女性がいて、スケベな男を好きだったとしても、
一般には「スケベが好き」とは公言しないので、そのような誤解が生まれたのでしょう。
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念の為ですが、
もちろん「スケベはモテる」もたぶん間違ってます。
が最近実感できた。
今まさに自殺したい方向へ気持ちが傾いてる。
自分もうっすら、「自殺するくらいなら、「どうせ死ぬし」な感覚で頑張ればいいのに」とか思っていた節があった
でも、なんか、違うんだよなあ。
論理的に逆ではないけどさ、文脈的に逆に言うと、
腹へってても確かに希望があると生きられる。でも希望がないと本当生きるのが難しい。
先が無いと思ってる人間は足を1歩踏み出せない。まあ考えてみれば当然なんだよな。
本当陳腐だけど、「希望」って本気で大事だと思う。
貧乏でも希望があれば頑張れるって、本当陳腐で使い古された言葉だけどあれは本当だと思った。
希望が見えないとどうしようもない。
「あ、もう全部だめだ」って思っちゃうともう真っ逆さま。
今、まさに俺がそうなんだけど、希望が見えないと、もう、「死にたいんだ!」というより「死ぬしか選択肢が無い」って気分になるんだよ。これは体験しないと分かりにくいけど、そのままの意味で、「それしかないから、そうするだけ」みたいな。積極的に死にたいっていうより。(つっても、そういう自殺者タイプもいるとは思う。連れ合いを亡くして突発的に、とか)
希望が全く見えない状態、つまり頑張ってもどうしようもないんだ、って思ってる状態だから、そんな人に「どうせ死ぬなら、その死んだつもりで頑張れば……」なんて全く無意味。そんなことしてもどうしようもないと思ってるから。死んだつもりでがんばればいいとか、一生懸命がんばればいいとか、そういう「努力の量」「気持ちの高さ」とかいう問題ではもう無いところにきてるんだよね。完全なる絶無っつーか、無っつーか、その名の通り真っ暗闇。
「君が死んだら〇〇が悲しむ」系も、正直、なんか自殺者の絶望感をナメすぎてるなって思う。
自分が死のうとしてるんだぜ?そんなときに、他人の事なんか考えていられると思う?
自分が一番の危機のときに、「他人の悲しみ」なんか考慮していられると思う?
言っちゃなんだけどさ、「悲しむ」って言われてもさ。だから何だよ。だから生きろっていうのか。お前が悲しむかもしれないために俺は苦しんで生きなきゃならんのか?何様だよってくらい思う。まあそれを聞いたら「悲しむ!」って言ってる人は「なんだよせっかくの人の好意を!」って腹立つだろうけど、まあ腹立つ時点で結局押し売りなんだよね。
本当凄い図々しいと思う。人が死ぬってときにお前の悲しみ?どんだけお前は、自分が凄い人間だと思ってるんだよと。
でもそんなこと、とてもこっちからは言えないからね。本当ズルイ言葉だと思うよ。自分は一切汚れない立場から物言えるんだからさ。
ま、言えないってのは、世間体的な意味というより元気がないんだけど。
俺なんか客観的に見てまだこんな事言ってるんだから大丈夫だとは思うけど
本当希望がないってのはキッツイ。
マジで希望って大事だと思う。ってホント陳腐な。でも陳腐な言葉って、自分がそれが必要な立場になると凄く生々しさを持ってリアリティをもって感じられる。健康体のときは「ハイハイ綺麗事」みたいな感じでスルーしてた言葉の数々が最近「うわ、ホントそうだわ」って身に染みる。
どうしたら自殺者を止められるかってのは正直分からない
結局その絶望感を取り除いてやればいいんだけど、それは大抵金絡みとか先の不安とかそうそう簡単に解決できるこっちゃない(つーかだから死にそうになってんだしな)から難しい
実際俺も自分をどう救ってやればいいか、分からない。このままだとずぶずぶ絶望に沈みそうな予感。一日のうちで今はまだ元気な方だからこんなことしていられるけど、一番ダメなときは駅のホームで急に涙出てくるしな。