ちょっと齟齬があるようだけど、「線形」というのは確率過程もある意味で含んでるよ。
確率的な世界での「線形」に対応するのは正規分布。あと再生性が成り立つ確率分布を暗に前提にするとか、中心極限定理が成り立つと前提にしちゃうとかだな。
統計的な話では線形モデルを最尤推定でフィッティングしちゃう、みたいなケースだな。
まー隠れマルコフモデルとかを使ったところで、データ観測期間内で遷移行列の構造が変化しない、という前提を置いてるわけで実際は結構無力だと思う。
数量的な分析、あるいは科学的っぽいロジックってのは何となく説得力あるけどね、実際はかなり無力だよってことを念頭に置いてほしいってことかな。
で、その「やんわり」をどこまでもをもって「やんわり」とするかだよね。
もうほんのちょっと低下傾向にあるだけでダメだダメだもうおしまいだという人もいるからねえ。
そういうものの見方に対する極論的なカウンターとして江戸時代でも3000万人はいたんだからというのは有効だとも思うんだ。
実際は食料だけ取ってみても土壌改良も農機具の発達も農薬も品種改良もあるわけで、言うほど極論に近くはなりようもないと思うけどね。
で、もう一段階イっちゃってる極論として絶滅もやむなし。というのはありうると。実際に起こりうるかどうかじゃなくて心構えの問題としてね。そもそもそうならないと思うし。
これはつまり「命より大切なものはあるか」という問題とも繋がっていくと思う。それに対して「ない。実利のみ」というのも答えの一つではあるし、
「あるけど日本人とか日本的文化の存続じゃないなあ」というのも答えの一つとしてはある。一方「日本に日本人がいる環境できるだけつづくといいなあ」というのもそれらと等価な答えとしてあり得る。
で、等価な答え同士が相容れない時どうするか? となると、調停案を出すか、戦うか(戦うって別にドンパチやるわけじゃなくて説得合戦みたいなものかも知れないし、裏で策略張り巡らすようなやり合いかもしれないし)となるだろうな。っていうだけの話なんだ。おれの言いたいのは。たいした内容はない。
この等価性を崩すものの言い方が「ほんのちょっと低下傾向にあるだけでダメだダメだもうおしまいだ」論(生活=寿命最優先論)なんだよね。
これに対して1、そんなにダメではないし 2、ダメなってもいいじゃない という2段の反論があると。この反論によってこっちは全く優位にはならないんだけどね。相手の優位さをなくすってだけで。そんで等価になる。それを「趣味=文化の問題」という言い方にしたんだ。残さなきゃいけない文化なんてないからね。
だから逆に「移民入れるとこんなに経済がダメになって犯罪が増えるからダメなんだ」論にもおれは与しない。なぜなら仮に全く逆に良くなろうがダメだからだ。「悪いからダメなんだ」論だと「良ければいい」論になる。おれは「良くてもダメ」論。
「でしょ」に笑った。前から気にはなっていたんだが。
外見も頭のよさも含めたらもはやなんでもありで説明にならないから胡散臭いのでは?
全裸で捨てられていたことを考えるとおのずとわかってくるだろ
本当にコミュニケーション能力があるなら、もっとうまくやってくれるだろうからなw
そりゃあ、えびちゃんみたいな人がニュース読んでたら引くわねえ。
報道という観点ではないもんな。
アイドルアナウンサーってのが出始めたのはいつからなんだろうね。
日テレのDORAあたりが発祥か?
不毛な議論をする人は、議論をしていることによって自分が頭がいいと錯覚したい人
寧ろ不毛じゃないと困るんだよ奴らは
結論付いちゃうと自分が論破されることもあるだろ?
最初からどう着地しようもない不毛な議論であれば、前提を時たま揺るがしたり変えたりしてそれっぽい事喋ってりゃいつまでも続くからな
先日、ちょっと力仕事をしなくちゃいけなくなって、トーチャンに手伝ってもらったんだ。
やっぱ男二人の力仕事は早くていいな、午前中で全部終わったんだ。俺一人でやってたらたぶん夕方までかかってただろうなぁ。
で、ちょうどメシ時だったし腹へったのでラーメン食いに行ったんだ。
俺はラーメンと半チャーハン、餃子のセット。トーチャンはラーメンとミニチャーシュー丼、餃子のセットを頼んだ。そして俺は「仕事の後のメシはうめー!」って具合にガツガツ食ってたわけよ。
ふとトーチャン見たら、俺より食うの遅いの。ドカ盛り大好きなトーチャンが。小学生の時に俺が食べきれなかった唐揚げ定食を骨までしゃぶって食ってたトーチャンが。俺より食うの遅いの。
俺は先に食べ終わってトーチャンが食い終わるの待ってたら、「これギョーザ食っていいよ」とか言い出すの。まだギョーザ半分も残ってるのにw食ったけどさw
もうなんかワケわかんなくなって、あまり喋れなかったよ、久しぶりに会ったのに。
あいつらは、世の中が不安に包まれてくれないと商売あがったりだからな。
それもあるだろうけど、あまりに美人すぎる人、可愛すぎる人、イケメンすぎる奴ってのはアナウンサーには合わんだろ。
アナウンサーはなんだかんだ影で支えるような役割であって芸能人という花とは違うからな
あんまり派手に光っててもらっちゃ困る
地味だけどよく見ると整った顔とか清楚顔とかそういうのがやはりアナウンサーでは受ける
まあ本来はあまりに見苦しい顔じゃなきゃいいと思うが(NHKは顔で選んでないっぽいな)
世間的に一般なのは統計量のほうだと思うぞいっとくが。統計量である限り普通の人が考えるのは確率過程だ。
線形を考えるほうが珍しい。君の世界がどうかは知らんが。
しかし実際の問題を考えるにあたってどのやり方が一番とはいえないだろう。実際問題さまざまなパラメータが絡んできたら変分法か線形計画問題か凸問題を解くことがほとんどだし。効率性というのは普通はそうやって解かれている。せいぜい後使われているとして解析学で出てくるような関数を使うくらいだ。どちらかというと制御問題だから。
だいたい「障害をもった人であるから」という文脈になっていることにとてもげんなりしました。
好ましい相手からではない性欲の表れは気持ちが悪いです。相手がおかしい人ならなおさらです。
非モテだからと逃げないでください。自分は障害者ではないからと逃げないでください。
十分に非モテだから風俗でwwという気持ち悪さは万人にわかられているところですから。
ネタになるなんておこがましいことです。
内容は正論だと思うが、コミュ力という単語が出てきた途端に胡散臭く感じるのはなぜだろう。
コミュ力とかコミュニケーション能力という言葉とは別に、こういうものを表す日本語を新設すべきだ。