他、「鉄腕バーディーDECODE」「R.O.D」「フルメタル・パニック」「バトルプログラマーシラセ」(ってDVDあるんだろうか?)もおもしろかったです。
ちなみにすべて萌えなし。
元増田は「恋愛至上主義者」といってるんだから、恋人できたと言ったら「マジで?どこで知り合ったの?」「どんな子」「芸能人で言えば誰?」「ちょっと今電話してよwwwwww」となるに決まってるだろ。
素直で笑った。わかるわ。
アホか。
お前のような泣きごとを言ってるやつは、春になろうが季節が一巡しようが、何も書けるようにはならねえよ。
ニコ動見てる暇があったら何か書けよ。
はてブやってる暇があったら何か書けよ。
人の記事読んでる暇があったら自分で何か書けよ。
文才とか言ってる暇があれば、お前の精一杯でいいからお前の言葉で書けよ。
周囲のご機嫌うかがってないで、お前の想いそのものを書けよ。
今は周囲に「私はもう書けません><」って言ってりゃちやほやされるかもしれんが、それは今だけだよ。お前は何も成長できねえよ。
そんなんでこの世界でやってけると思ってるの?
正直、今のお前のままなら、俺は「今すぐ筆を折れ、二度と文を書くな、一生冬眠してろ」って言うね。
立ち位置も決心も揺らいでる奴の文章なんか面白くねえよ。クソだよ。
お仲間同士クソなげあってろ。絶対こっち来るんじゃねえぞ。
じゃあ書け。今すぐ書け。俺を否定しろ。お前を自身を肯定しろ。話はそれからだ。
なんか「ニコニコ動画初めて知った」みたいな会話が目の前で行われている。ほほえましい。
激しくキモい女になりそうだな
テケルンバだと二人で並んだ時なんか恥ずかしいww
下向いちゃうしww
駅とかに迎えにこられたら・・・・もう最悪ww
常識的に考えて欲しいだけなんです!
テケルンバで迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる?
あのね?たとえば週末10??20人ぐらいでオフ会とか行くでしょ?
それぞれ自己紹介するわけじゃない?
みんな普通にタケルンバ柳やタケルンバ卵やテケノレソバ卿やタルケンバ卿で来るわけでしょ?
テケルンバ卿って言ったら大恥かくでしょうがww
どうやらその人別れたらしく、相手探しに必死みたいです。
自分、確かに相手いないけど、欲しいと思ってないから特に居ないんだよ。
でもそれを説明しても分かって貰えそうにないし、説明するのもめんどくさい。
いい人いればラッキーとか思っているので、誘われたら断らないけど。友達が増えるかも知れないし。
でも合コン来るような人ってだけであんまり惹かれないから意味ないんだよな。。。
追記:
一度「興味ない」って言ったら同性愛者かと聞かれたので、それもめんどくさい。
http://d.hatena.ne.jp/amachang/20081114/1226633132
いろいろあった
→いやなことがあった
→なぜ言語化できないのか
→言語化すると、新しい視点が生まれるかも
いろいろできそう
→具体的には何
→そこに新しい発明が
id:amachang の指す「いろいろ」が何かは現時点ではわからないのと、id:amachang が
どんな人か私は知らないので、id:amachang を否定する気は更々無い事を前提条件
とします。
--------
いわゆる「こころの病」系の人は「言語化」しない方がいいこともある。
嫌なことがあったから、忘れようとしたり曖昧にしようとしたりしているのに
改めて直視し精査し言語化し新たな視点を見つけるのはかなり危険だからだ。
私の例では、企画書をかなり集中して書いて四六時中いろいろ考えてたら
最終的に「自殺」しか答えが出なくなってしまった。かなり危険だったので
びっくりして急いでPCの電源落として寝た。
布団の中でもずっとベランダから飛び降りたい衝動に駆られて危険だったので
深夜寝ている親を起こして話を聞いてもらった。
親は「伊丹十三とかはこういう感じで飛び降りちゃったのかねえ・・・」って
言ってた(伊丹十三の死については諸説ありますが親はそういうのは知らない
ので印象だけで発言)。
親は、自殺する人はみんな暗い気持ちで自殺すると思っていたようで、
かなりのテンションで「今すぐ飛び降りないと!」と言っている私にびっくり
したようだ。
id:amachang が書いた箇条書きに照らし合わせると、
いろいろあった
→いやなことがあった
→それを思い出した
→なぜ言語化できないのか
→言語化するために嫌なことと向き合った
→言語化すると、新しい視点が生まれるかも
いろいろできそう
→具体的には何
→すべてを0に戻すために自殺
→そこに新しい発明が
といった感じ。自殺という最悪の手法をとらないためにあえて
曖昧に「いろいろ嫌なことがあったけど、私は元気です」って感じに
していたのを直視したために結論や結果を出さないといけない方向へ
自分を持って行き、最終的には自殺にたどり着いてしまう。
よく言う「元気になった頃が危ない」ってやつだと思う。
※id:amachang はおそらく新しいサービスとかについてを書いているのだと
思いますので、健康な方におかれましては本文章は完全スルーでOKです。
なぜこのようなことを増田に書いたかというと、私自身が、id:amachangの
ような人に出会ったり、こういう文章を読んで「よし、私も頑張ろう!!」
って思ってものすごく根詰めてやってしまって最終的に鬱に逆戻り、という
状態によくなるので、自戒を込めてってことで。
何故そう思うんだろうね。
たかがセックスしている程度で自己責任って言葉を出してしまう思考に行き着いた理由。
風で飛んでっちゃうしww
男はせめて3次元であって欲しい・・・
駅とかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww
あのね?たとえばクリスマスに10-20人ぐらいでお台場とか行くでしょ?
ああいう風には盛り上がらないが、結構、現場は盛り上がってる。
『別れる前のあの何とも言い難い空気が必要なくなるのだ』
と言ってる増田ほどスィーツな感じではないのだけど
『もう少し広い部屋を二人でなら借りれる。二人で暮らせば、自炊するのもそんなに無駄がなくなる。』
というのは同感。
うちも彼女の部屋もファミリータイプなので人が増える分には対応できる(どちらを手放すか?て問題はあるけども)。
自炊は激しく同意。自分が料理好きな人間なので、ムダを作るのはとても嫌だ。
金銭的な意味が大きい。出費が減ることになると思う。
一人でいる時間が減るけど、そろそろ一人でいるのも飽きたし…
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。