[立席指定席券]
3両目の進行方向前から2つめの右側の扉の中央から車両中央に向かって45cmの位置を中心にして半径20cm
というようなもので、よろしいでしょうか?
高校生か大学生か知らんけど、社会人になっても便利屋のままだと大変なことになるよ。
誰もこっちの苦労なんかわかってくれないからね。引き受けた自分が悪いんだからね。
しかもどんどん頼まれるからね。しかもしかも全く評価もされないよ。みんな自分のことしか考えてないからね。
おっさんニコマス民として最近気になる「アイマスゲーム派とニコマス派との距離の問題」というか、
[http://hirorin.otaden.jp/e5544.html:title=ニコマスはアイマスではない]
[http://nakazato.blog.shinobi.jp/Entry/121/:title=リアルアイマスはランクSを目指すべき?]
[http://d.hatena.ne.jp/hajic/20080917/p1/:title=ニコ動の人気ジャンルを本気で応援したければ]
のあたり話題でちょっと。
自分はゲームをしないおっさんニコマス厨の部類に入る。はじCさん(id:hajic)あたりに言わせれば、
「臆病なおっさんだなぁ、お金も落とさずにプレイの醍醐味も知らずにニコマスだけで満足しているなんて。というか、要は勇気がないんでしょ?」
と言われそうなヘタレである。
いや、全くそのとおりである。好きなものは身銭を切って、しゃぶり尽くしてナンボだということはわかっている・・・わかっているつもりである。
友人にも「もしかして箱○買うかも」と漏らしたことも何度かあった。
しかし、その一方でなぜかゲームを買う気がしない。プレイする気が沸いてこない。
「やっぱゲームはプレイしてナンボ、アイマスもプレイしてこそ」という言説にたいしてアンビバレントな感情が沸いている自分がいる。
今回はそのアンビバレントなモヤモヤ感を言葉にして吐き出してみようと思った。
正直後ろ向きな言い訳しか書けないような気がするので「言い訳編」と銘打ってみることにする。
早速それかよと言われてもしょうがないが、まずは理由として上げる必要はある。
当方は年齢30代後半独身だが、収入的には正直微妙。自分ひとりを養う分にはそれなりの収入はあるものの、「洗脳・搾取・虎の巻」と揶揄されるゲームをプレイするのには正直恐怖を感じるのである。
しかしお金の問題は言い訳に過ぎない、というかお金の問題にかこつけて逃げの姿勢に入っている自分がいることを肯定せねばならない。
個人の成育史的には正直これが大きな問題かと思っている。
小学生の時にアーケードゲームやゲームウォッチ(オイオイ)はそれなりに喜んでプレイしていたものの、ファミコン以降のゲームの流れについていくことに失敗した身としては、新規にゲームハードとソフトを買ってプレイをすることに凄い心理的抵抗がある。
そもそもゲーム機のコントローラなるものに抵抗がある上に、アケマスプレイ派の友人から「コントローラをきちんと使いこなせないとアイマスは難しいよ」と言われていることもプレッシャーになっている。
(後にも先にも「ゲームクリア」した経験のあるゲームが、アーケード版の「子育てクイズ マイエンジェル」だけと言う現状ではなぁ・・・)
理由2とも関連するのだが、これは自分の心理的ヘタレさ加減と関連づけて理由にしたい。
自分はリアルの世界でも「敵対」「取引」「友情・努力・勝利(それは少し違う!)」はかなり苦手にしているのである。社会人としてはそれなりにうまく立ち回ってそんな概念とそれなりに付き合っているつもりではあるが、対戦に勝たねば進まぬゲームを生活の一部に持ち込むのは苦痛になるのではないかという思い込みがある。
これは思い込みに過ぎないのかもしれないのだが・・・。
もともと重度のアニソンジャンキーである自分にとって、ニコマスの魅力は
「アイドルが素敵な歌を楽しそうに歌って踊る」
ものだと感じている。実際、自分がニコマスにはまったきっかけはアニソンであるし、ニコマスで好きな作品は今もそのようなものが多い。
その一方で、ゲーム版アイマスで目に付くのは「バックステージの厳しさ」ばかりである。
ランキングシステム然り、プレイ中の膨大な選択肢然り、1年限りでセーブや経験持ち越しの効かないストーリー然り・・・。
正直自分はこの乖離が理解できないのである。この乖離を理解した上でゲームをプレイする必要があるのだろうが、今は正直その勇気が沸かない。
取り合えずプレイしない言い訳を4つほど書き出してみた。書き出して少しホッとしているわけだが、なんとも個人的で後ろ向きな理由だと呆れている。
だが、「ゲームをしないニコマス厨」が「ゲーム版アイマスをプレイしない理由」を書いてみるのも、今回の議論の中で大事なことではないかと思っている。
少なくとも「理由なきいがみ合い」は自分としても見たくはない。
頼みやすい人で誰にでも頼られる。いいポジションだと思うけどなあ。「誰にでも」がポイント。
人から声をかけてもらえる、頼まれるのは幸せなことだよ。人とのつながりがあるからね。
物理的に存在はしていても、そこにいないかのように周囲が動いているとしたら、それはとても寂しいことだ。
好きな子とうまくいくか、それとも「いい人」で終わっちゃうかはまた別の話だけれどね!
なんかわからんけど笑ったわ
朝遅くあなたのパンティを脱ぎ捨てたのを見たら、激しく勃起してあなたに見えるほどになって、やらせて欲しいといったけれどあなたが断るのももっともだから惜しいけどやめた。
やがて空が青いなあと思っていたら中指がひどく痛いのに気がついたので、悩むことになった。中指がひどく痛いとセックス出来ない。前戯なんてもってのほか。
あなたにふたつのうちひとつ選んでくれというのも心が重い。究極の選択だからあなたもきっと悩む。けど選んでもらわないと夫婦の平和が保てないので選んで欲しい。
ひとつはセックスを延期して明日の朝か明日の昼する。夜はしない。
ひとつは若い頃みたいに前戯をそこそこにして1時間ぐらいで済ませる。
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文意を汲んでみた。二重否定が多くて読みづらいと増田夫に言っておいてくれ。
誤読してるかも。あともう増田夫が帰ってきてるかもね。だったらごめんね。
君みたいな考えの人が増えてくれれば利用者も減って混雑緩和されそうだなあ
4年以上経っても養育費を払い続けている人は12%まで落ちるね。
思うんだがこれ、「4年後の時点で子供が成人したんでもらう必要がなくなった(だからもらってない)」は除外されてあるんだろうか。
すごい逸れて申し訳ないんだけど、
食べたくないのに断れない苦痛ってのも・・・
食事に限らず、その他でもさ、拒否権無しって言うか。
極端な言い方すると、至近距離で喰らう大きなお世話。
これが定常的につづくときついわ。正直。
ちなみに、分担できてないから断れない、って訳じゃないんだけどね。
・200% 体が触れ合い、相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める。
納得できる? この説明で納得できる?
座席に座っている乗客は週刊誌を読めるってことか?
まさかと思うけど、意図的に混雑率を低く出したりしてるなんてこと、ないよね?
可愛い顔がコンプレックスという子がいる。
あぁ、危険度の違いだよね。
可愛い小動物系ならモテるけど、その分危険だもんね。ロリコンや支配欲の強い男を呼び寄せそうで。
その分女豹系になればモテても比較的安全だもんね。
基本的にノーミスでゲーム(人生)を進めなければならないから。
回数制限つきの受験や新卒就職などのイベントや、然るべき時期にコミュ能力を高めなければならないというルールは
失敗や逸脱を許さない類のものだ。
上司である課長に死亡予定者が書かれたカードを渡される所まで、同じ。
一定の確率で理不尽な死を与えられるという、最も根幹にあたる設定も同じ。
確かに似過ぎている。
重要な相違点は、イキガミには宣告から死までの間に24時間の猶予があるという事で、イキガミではそれこそがドラマの基本になっている。
だから、ドラマの仕立て方は全く異なる。
生活維持省はあっという間に終わってしまい、イキガミではドロドロしたドラマが繰り広げられる。
主人公の心情もそれに応じて決定的に異なる。イキガミの主人公の作中における役割も、これからさらに変わってくるのではないだろうか。
生活維持省の主人公と同じ道を辿る事は、無い筈。これは完全に別のドラマだ。
ただ、設定に一点、気になる部分がある。
間引きの「目的」だ。
生活維持省における目的は、タイトル(役所名)でも明らかで、人工を抑制して健全な生活を維持する事。それ自体は古来からある発想であり、ストレートで分かりやすい。
イキガミは、死への危機感によって生命の価値を認識させるという物で、自分には正直ピンと来ない。そんなまだるっこしい事の為に1000分の1の死、というのでは余りに理不尽に思える。本当にそれで「国家繁栄維持」が出来るのか?
敢えてストレートでない、捻った設定を作る理由。自分には、その理由は一つしか思い当たらない。
「今はつらいかもしれないが、将来の可能性を自分から捨ててしまうのはいかがなものか。どうだろう、ことを一気に進めようとせず、自分と世間で折り合いがつくところを探してみてはいかがだろうか。」
「高校辞める」(anond:20080918052053)の人と「胸を小さくしたい」(anond:20080919085940)の人へ。